ある先輩から、今の人生のテーマは何?と聞かれた。
人にそう聞くからには、先輩には何かテーマがあるだろうから
まずそれを伺いたい、と返したところ、
「右肩上がり」、だと言う。
自分の会社の売上利益を右肩上がりにする、というところに
源があるのだが、それだけでなく、自分の健康、友人関係、
フトコロ、人格、あらゆる部分を右肩上がりにしたい、という
ことらしい。
さらに、ゴルフでシャンクが出てるから右肩を上げてバランス
をとりたい、という笑えるオチまでついていた。
彼は、とてもモチベーションの高い状態なのだろう。
そして君は?と聞かれて、ちょっと迷ったのだが、
「非同期」、と答えた。
なるほど君らしい、と笑われて、終わった。
彼は非常に頭が良く、知識人でもあるので、非同期に
ついての説明を必要としなかったのだが、自分としては
いささか不完全燃焼だった。
そういうわけで、このブログで燃焼させてもらうことにする。
「非同期」とは、何かに同期しない、ということである。
「同期」、とは、何かにタイミング(時間)を合わせる、という
ことである。
"9:00に出社する"、という行為は、会社の就業時間に
同期する、ということである。
"12:00から笑っていいともを観る"、という行為は、
その番組の放映時間に同期する、ということである。
"15:00から会議に出る"という行為は、
その会議の時間に同期する、ということである。
"友人からかかってきた電話に出る"という行為は、
その友人が電話をしてきた時間そのものに同期する、
ということだ。が、逆にその友人は、自分の勝手で電話
してきたわけなので、友人自身は「非同期」である。
"友人から、電話ではなく、メールが送られてきて、
そのメールをパソコンで観る"という行為は、
その友人の時間的都合に合わせているわけではなく、
自分の時間でメールを観ているわけだから「非同期」だ。
"笑っていいともを、DVDに録画して、気が向いたら観る"
という行為は、前例の通り、「非同期」である。
"15:00からの会議は中止、替わりに、会議の議題を
まとめたファイルを書類で渡される、それを読んで、
後日、自分の意見を書類に書き加えて、返す"という
行為、これも「非同期」だ。
"9:00に出社する必要はなく、自分の仕事をその日の
うちに完了することができるのであれば、何時に出社して
何時に退社しても構わない"という状況も、「非同期」だ。
自分は、この「非同期」をテーマにしている。
五年程前、地元企業でサラリーマンをやっているとき、
出入りの広告代理店に、ある本をもらった。
博報堂生活研究所が発行しているシリーズ本で、
タイトルは「非同期」だった。
それによると、人間は次第に、非同期を求める生き物に
なりつつある、という。
古くは、電子レンジの台頭で、家族が夕刻に同期して食卓を
囲む必要が無くなった。お母さんが作った肉じゃがは、
学校帰りの子供も、残業で疲れた旦那も、朝帰りのオテンバ
娘も、皆、それぞれの時間に合わせて、電子レンジでチンすれば
美味しく食べれるようになった。
前述の例で挙げたように、録画式・録音式のハードウェアに
よって、放映時間に合わせてテレビの前に駆けつけたり、
友人の家でレコードを一緒に楽しんだりしなくなった。
メールによって、電話のやりとりが減り、インターネットによって
毎朝の朝刊を待つ必要もなくなりつつある。
労働時間制に革命をもたらしたフレックスタイムも、
その一環といえるだろう。
そのようなことが本に書かれてあった。
この本が、自分の脱サラを早めたと言っていい。
地元企業に入り、トントン拍子に出世し、そのたびに何か
新しいものが見えるのだろうか、と期待していたのだが、
出世すればするほど時間的に束縛され、人間関係に束縛
され、それは自分の想像を上回るほどに苦痛だった。
この状況を説明する言葉になかなか出会わなかったのだが、
「非同期」という本を読んで、その理由が説明された。
独立して会社を立ち上げたとき、何か商売をやろう、と決めて
いたのだが、同時に、5つのルールを決めた。
一つ。営業はやらない。
二つ。店を開かない。
三つ。定期会議をやらない。
四つ。就業時間や休日を決めない。
五つ。連絡事項は基本的にメールで行なう。
これすべて「非同期」を具現化したものである。
結果、インターネット通販、という商売に落ち着いた。
五つ目のルールなど、もっとも非同期的なものだ。
うちの会社では、どんなに些細なことでも、メールで連絡する。
これは"非同期でありたい"という意味もあるが、
メールで連絡すると履歴が残るので、「言った言わない」の
トラブルが絶対に起こらない。
さらに、もし「○○をやってほしい」という依頼メールであれば、
それを受け取った側は、そのメールにメーラー上でフラグを
立てたり、開封・未開封の処理を与えることで、いわゆる
"やることリスト管理"をすることができる。
自分など、毎朝出社してメーラーを開くと、たくさんの依頼
メールが来ている。
仲間からの連絡や依頼もあるが、自分から自分へ出した
メールもある。何かをやろうと思いついたときに、それを
会社の自分のメーラーに送っておくわけだ。そうすれば
湧き出たアイデアを逃すこともないし、突発業務を怠って
しまうこともない。
ただ、そのメールを開き、それをいつ処理するのか、と
いったことは、自分の自由な時間裁量に任せる。
とても「非同期」な状態だ。
もちろん、すべてに非同期であるわけではない。
ゴルフコンペやレストランの予約は同期だし、日曜の夜に
功名が辻を観るにも同期している。友人との待ち合わせ
にも同期する。
だが、ここで大事なのは、"非同期"と"同期"の割合だ。
自分の場合、すべてのスケジュールのうち、
8割が"非同期"で、2割が"同期"だ。
しかし、世の中の人間、特にサラリーマンなどは、これが
逆転してしまう。何かに同期しなければいけないことが多く、
時間的自由が少ない。このため、同期しなくていい事柄は
徹底的に非同期に持っていこうとする。
疲れたサラリーマンパパが、休日になると途端にダラけて
しまうのはこのためだろう。休日ぐらい非同期でいたいのだ。
自分の周囲の親しい人間にもサラリーマンが数人いるが、
彼らと食事の待ち合わせをしても、その時間ピッタリに来る
ことはまず無い。営業アポや会議の時間にはキッチリと
合わせられる人なのに、仕事外の時間にはそうならない。
意識が、そうなってしまうのだろう。だが、それを責めようと
思うことはない。プライベートな時間くらい非同期でいさせたい。
冒頭に挙げた親しい先輩は、プライベートにも狂いがない。
自分との待ち合わせ時間にもキッチリ来る。気持ちがいい。
彼は、同期と非同期のバランスが上手く取れているのだろう。
実際彼は経営者に近いので、非同期である事柄が多い。
非同期が多い分、たまに同期する事柄に対して意識が高い
のだろう。自分もこの例に当てはまると言える。
逆に、レストランの友人は、プライベートが徹底的に非同期だ。
営業時間が決められた職場で仕事し、無予約客という非同期
な存在に同期して仕事をしなければいけないこともあり、
そのストレスは少なくないだろう。
その友人が休みの日にうちの会社の遊びにくるときなど、
まず「今、会社にいる?」とメールが入り、「いる」と答えても、
それから返事が来ることはない。こちらが会社にいることを
確認しただけで、あとは自分の気が向けば行くし、向かなければ
行かない、といった具合である。
非同期をテーマにしている自分としては、この状況に置かれる
ことが極めて苦痛だ。
ある日、「来るのか?来ないのか?」「来るならいつ来るのか?」
といったメールを数回送った。すると彼のほうではそれが煩わしく
感じたのであろう、返答もせず、そのまま来なかった。
なるほど、彼はサービス業に身を置いて、休みの日ぐらい
非同期でいたいのに、そこにメールを立て続けに送られては
不快感になるのも当然だ、と反省し、それ以来、彼の環境に
気を配り、彼が来るか来ないか分からない状態に耐えている。
言うまでもないが、インターネット通販という仕事は、店も客も
完全に非同期だ。客は買いたいときに物を買うし、店のほうも
それに合わせてレジに立っている必要もない。
会社をはじめてそろそろ二年になるが、思えばこの2年間で
積もった時間的ストレスは、サラリーマン時代のストレスの
一ヶ月分にも満たないだろう。
もちろん、時間的ストレスが無くなった分、サラリーマン時代には
感じることのなかった経営ストレスというものはある。
経営者という存在は、会社という存在と同期しているわけだ。
いわば両方のストレスが置き換わったといえるだろう。
両方のストレスが混在していたなら、自分など1年も待たずに
会社を畳んでいたことだろう。人間ドックでも脂肪肝どころでは
なく、もっと重い症状が出ていたかもしれない。
先日、尊敬する先輩のひとりが、名刺が新しくなったというので
見せてもらった。その先輩は"社長室長"という、いわば時間的
ストレスがもっとも溜まる恐るべき仕事を長年こなしていた。
そして、その新しい名刺には、取締役ビジネス推進室長という
あらたな肩書きがついていた。
まさに、時間的ストレスと経営ストレスの二重のストレスを
背負い込んでいる「スーパー同期人」といえるだろう。
これまで以上に尊敬の念を抱かずにはいられないが、
その先輩の健康と精神が健全でいられることを心から
祈りながら、かつ、自分の現在の"非同期な生き方"が
末永く続いていけることを願っている。
END