カテゴリー「社長してるハナシ」の3件の記事

会社経営は、とにかく面白い。



会社経営は、とにかく面白い。




どんな事業も、最初は「企画を立てる」ところから始まる。

ネタを考えるとか、そういう表現でもいい。



この第一段階が、もっとも楽しく、そして、もっとも難しい。



成功する可能性が低いもの、高いもの、いろいろ出てくるが、

この段階で間違いなく言えることが、ひとつだけある。

企画というものは、実行するまでの間は、絶対に失敗しない。

ということだ。

だから、どんなに無鉄砲な企画でも、お金と時間の帳尻さえ

合えば進めることができる。



自分は元来、企画を立てることに困らないタイプなので、

とにかくいろんな企画が頭から湧き出てくる。

何十も出てきた企画のうち、いったいどれから進めていけば

いいのか、この点が難しく、楽しい。

どの企画も、成功する可能性を大いに秘めている。



企画のひとつひとつが成功するかどうかは、確率の問題だ。

セオリーとしては、確率の高いものから順にやっていき、

成功する確率の低いものは、後回しにしていく。

確率が低い、という理由で企画から外してしまうことは、

会社経営の推進力が弱まるので、やらない。



もうひとつの判断材料は、前述したが、お金と時間だ。

お金と時間に余裕があれば、ビジネスの仕組み作りに

長期間を要する企画でも進めることができるが、

その余裕がない場合は、できるだけ手っ取り早く始められる

企画からやっていく。



どの企画も、根本的に「儲かる」ように出来ているのだから、

どれから手をつけても構わないのだが、上記したような

基準で物事を進めていく。



ひとつ大切なことがあって、これも基準の内のひとつだが、

「好きな順(やりたい順)から企画を進めてはいけない」。



よく、新しく独立して事業を起こそうとする人間など、

自分の好きなことで飯が食いたい、と願ってしまうことが

多い。このことが事業推進の幅を狭めてしまう。

事業を起こすという初期の段階で、この価値観で進めて

しまうことは、とても危険だ。



花が好き、という人が、素敵な花屋を始めたとする。

そこに近所のお年寄り達が、「盆栽は置いてないのか?」

と訊ねてきたとき、好き嫌いの価値の置き方で運命が決まる。



花が好き、盆栽は嫌い、という個人的な価値観で店を

やっている人だったら、「盆栽はありません」で終わってしまう。

そうでなく、「今は置いてませんが、いずれ置きたいと思います」

あるいは、「どんな盆栽をお求めですか?取り寄せできますよ」

と応えられる人間だけが、その店の周囲に住んでいるお年寄り

を捕まえることができる。



そもそも、盆栽は置いてないのかと聞かれた時点で、

その店の周囲に盆栽の店が無い、ということが想定できるわけで

まさに「降って沸いた儲け話」な訳だ。

花が好き、という価値観はそのままにして、あらたに店の横に

雰囲気を変えた盆栽コーナーを置けばいい。

そこで儲けたお金を花屋のほうに回していく、といった柔軟な

頭を持っていれば、なにも盆栽を否定する必要はない。

このへんをサクッと割り切って、「事業を拡大する」という点に

価値観をもっておけばいい、と自分は思っている。



ソフトバンクの孫さんも、HONDAの本田さんも、

会社を設立した当初にやっていたビジネスに固執せずに

流動的に「商売」を進めてきた。孫さんなど、初期の頃は

パソコンソフトの販売事業をやっていて、はじめは真面目な

ソフトを売っていたが、儲かる方へ手を出し、アダルトソフトを

販売していたこともある。そこで儲けたお金を、次へ次へと

回していき、7年ほどしてようやく、自分のやりたいこと、

つまりIT事業に手を出した。花屋の盆栽コーナーと同じだ。



自分の会社もそうだが、事業初期、という時点で、

あれをやりたい、これをやりたい、という価値観は持たない

ほうがいい、と思っている。



話は戻るが、だからこそ、出てくる企画にシバリがなくなり、

「どれからやるか」という一点に頭を悩ませてしまう。

どれぐらい悩んでいるかというと、そう、ブログを書く手が

一週間も止まってしまうほど、悩んでいる。



ブログ更新のためにも、早く新しい事業を進めたいものだ。



END

| コメント (0)

ある先輩から、今の人生のテーマ



ある先輩から、今の人生のテーマは何?と聞かれた。



人にそう聞くからには、先輩には何かテーマがあるだろうから

まずそれを伺いたい、と返したところ、

右肩上がり」、だと言う。



自分の会社の売上利益を右肩上がりにする、というところに

源があるのだが、それだけでなく、自分の健康、友人関係、

フトコロ、人格、あらゆる部分を右肩上がりにしたい、という

ことらしい。


さらに、ゴルフでシャンクが出てるから右肩を上げてバランス

をとりたい、という笑えるオチまでついていた。

彼は、とてもモチベーションの高い状態なのだろう。




そして君は?と聞かれて、ちょっと迷ったのだが、

非同期」、と答えた。




なるほど君らしい、と笑われて、終わった。



彼は非常に頭が良く、知識人でもあるので、非同期に

ついての説明を必要としなかったのだが、自分としては

いささか不完全燃焼だった。



そういうわけで、このブログで燃焼させてもらうことにする。





非同期」とは、何かに同期しない、ということである。


同期」、とは、何かにタイミング(時間)を合わせる、という

ことである。



"9:00に出社する"、という行為は、会社の就業時間に

同期する、ということである。



"12:00から笑っていいともを観る"、という行為は、

その番組の放映時間に同期する、ということである。



"15:00から会議に出る"という行為は、

その会議の時間に同期する、ということである。



"友人からかかってきた電話に出る"という行為は、

その友人が電話をしてきた時間そのものに同期する、

ということだ。が、逆にその友人は、自分の勝手で電話

してきたわけなので、友人自身は「非同期」である。




"友人から、電話ではなく、メールが送られてきて、

そのメールをパソコンで観る"という行為は、

その友人の時間的都合に合わせているわけではなく、

自分の時間でメールを観ているわけだから「非同期」だ。



"笑っていいともを、DVDに録画して、気が向いたら観る"

という行為は、前例の通り、「非同期」である。



"15:00からの会議は中止、替わりに、会議の議題を

まとめたファイルを書類で渡される、それを読んで、

後日、自分の意見を書類に書き加えて、返す"という

行為、これも「非同期」だ。



"9:00に出社する必要はなく、自分の仕事をその日の

うちに完了することができるのであれば、何時に出社して

何時に退社しても構わない"という状況も、「非同期」だ。





自分は、この「非同期」をテーマにしている。




五年程前、地元企業でサラリーマンをやっているとき、

出入りの広告代理店に、ある本をもらった。


博報堂生活研究所が発行しているシリーズ本で、

タイトルは「非同期」だった。



それによると、人間は次第に、非同期を求める生き物に

なりつつある、という。



古くは、電子レンジの台頭で、家族が夕刻に同期して食卓を

囲む必要が無くなった。お母さんが作った肉じゃがは、

学校帰りの子供も、残業で疲れた旦那も、朝帰りのオテンバ

娘も、皆、それぞれの時間に合わせて、電子レンジでチンすれば

美味しく食べれるようになった。



前述の例で挙げたように、録画式・録音式のハードウェアに

よって、放映時間に合わせてテレビの前に駆けつけたり、

友人の家でレコードを一緒に楽しんだりしなくなった。



メールによって、電話のやりとりが減り、インターネットによって

毎朝の朝刊を待つ必要もなくなりつつある。


労働時間制に革命をもたらしたフレックスタイムも、

その一環といえるだろう。


そのようなことが本に書かれてあった。




この本が、自分の脱サラを早めたと言っていい。




地元企業に入り、トントン拍子に出世し、そのたびに何か

新しいものが見えるのだろうか、と期待していたのだが、

出世すればするほど時間的に束縛され、人間関係に束縛

され、それは自分の想像を上回るほどに苦痛だった。



この状況を説明する言葉になかなか出会わなかったのだが、

「非同期」という本を読んで、その理由が説明された。




独立して会社を立ち上げたとき、何か商売をやろう、と決めて

いたのだが、同時に、5つのルールを決めた。


一つ。営業はやらない。

二つ。店を開かない。

三つ。定期会議をやらない。

四つ。就業時間や休日を決めない。

五つ。連絡事項は基本的にメールで行なう。


これすべて「非同期」を具現化したものである。


結果、インターネット通販、という商売に落ち着いた。



五つ目のルールなど、もっとも非同期的なものだ。


うちの会社では、どんなに些細なことでも、メールで連絡する。


これは"非同期でありたい"という意味もあるが、

メールで連絡すると履歴が残るので、「言った言わない」の

トラブルが絶対に起こらない。


さらに、もし「○○をやってほしい」という依頼メールであれば、

それを受け取った側は、そのメールにメーラー上でフラグを

立てたり、開封・未開封の処理を与えることで、いわゆる

"やることリスト管理"をすることができる。



自分など、毎朝出社してメーラーを開くと、たくさんの依頼

メールが来ている。

仲間からの連絡や依頼もあるが、自分から自分へ出した

メールもある。何かをやろうと思いついたときに、それを

会社の自分のメーラーに送っておくわけだ。そうすれば

湧き出たアイデアを逃すこともないし、突発業務を怠って

しまうこともない。


ただ、そのメールを開き、それをいつ処理するのか、と

いったことは、自分の自由な時間裁量に任せる。


とても「非同期」な状態だ。




もちろん、すべてに非同期であるわけではない。

ゴルフコンペやレストランの予約は同期だし、日曜の夜に

功名が辻を観るにも同期している。友人との待ち合わせ

にも同期する。




だが、ここで大事なのは、"非同期"と"同期"の割合だ。




自分の場合、すべてのスケジュールのうち、

8割が"非同期"で、2割が"同期"だ。


しかし、世の中の人間、特にサラリーマンなどは、これが

逆転してしまう。何かに同期しなければいけないことが多く、

時間的自由が少ない。このため、同期しなくていい事柄は

徹底的に非同期に持っていこうとする。


疲れたサラリーマンパパが、休日になると途端にダラけて

しまうのはこのためだろう。休日ぐらい非同期でいたいのだ。



自分の周囲の親しい人間にもサラリーマンが数人いるが、

彼らと食事の待ち合わせをしても、その時間ピッタリに来る

ことはまず無い。営業アポや会議の時間にはキッチリと

合わせられる人なのに、仕事外の時間にはそうならない。


意識が、そうなってしまうのだろう。だが、それを責めようと

思うことはない。プライベートな時間くらい非同期でいさせたい。



冒頭に挙げた親しい先輩は、プライベートにも狂いがない。

自分との待ち合わせ時間にもキッチリ来る。気持ちがいい。


彼は、同期と非同期のバランスが上手く取れているのだろう。


実際彼は経営者に近いので、非同期である事柄が多い。

非同期が多い分、たまに同期する事柄に対して意識が高い

のだろう。自分もこの例に当てはまると言える。




逆に、レストランの友人は、プライベートが徹底的に非同期だ。

営業時間が決められた職場で仕事し、無予約客という非同期

な存在に同期して仕事をしなければいけないこともあり、

そのストレスは少なくないだろう。



その友人が休みの日にうちの会社の遊びにくるときなど、

まず「今、会社にいる?」とメールが入り、「いる」と答えても、

それから返事が来ることはない。こちらが会社にいることを

確認しただけで、あとは自分の気が向けば行くし、向かなければ

行かない、といった具合である。


非同期をテーマにしている自分としては、この状況に置かれる

ことが極めて苦痛だ。


ある日、「来るのか?来ないのか?」「来るならいつ来るのか?」

といったメールを数回送った。すると彼のほうではそれが煩わしく

感じたのであろう、返答もせず、そのまま来なかった。


なるほど、彼はサービス業に身を置いて、休みの日ぐらい

非同期でいたいのに、そこにメールを立て続けに送られては

不快感になるのも当然だ、と反省し、それ以来、彼の環境に

気を配り、彼が来るか来ないか分からない状態に耐えている。




言うまでもないが、インターネット通販という仕事は、店も客も

完全に非同期だ。客は買いたいときに物を買うし、店のほうも

それに合わせてレジに立っている必要もない。




会社をはじめてそろそろ二年になるが、思えばこの2年間で

積もった時間的ストレスは、サラリーマン時代のストレスの

一ヶ月分にも満たないだろう。




もちろん、時間的ストレスが無くなった分、サラリーマン時代には

感じることのなかった経営ストレスというものはある。



経営者という存在は、会社という存在と同期しているわけだ。


いわば両方のストレスが置き換わったといえるだろう。



両方のストレスが混在していたなら、自分など1年も待たずに

会社を畳んでいたことだろう。人間ドックでも脂肪肝どころでは

なく、もっと重い症状が出ていたかもしれない。





先日、尊敬する先輩のひとりが、名刺が新しくなったというので

見せてもらった。その先輩は"社長室長"という、いわば時間的

ストレスがもっとも溜まる恐るべき仕事を長年こなしていた。


そして、その新しい名刺には、取締役ビジネス推進室長という

あらたな肩書きがついていた。


まさに、時間的ストレスと経営ストレスの二重のストレスを

背負い込んでいる「スーパー同期人」といえるだろう。


これまで以上に尊敬の念を抱かずにはいられないが、

その先輩の健康と精神が健全でいられることを心から

祈りながら、かつ、自分の現在の"非同期な生き方"

末永く続いていけることを願っている。




END

| コメント (0) | トラックバック (0)

これまで幾人かの"社長"に



これまで幾人かの"社長"に出会ってきたのだが、

振り返ってみると、この社長達と交わした幾つかの言葉が、

印象強く脳裏に残っており、今でもよく思い出すことがある。



初就職した会社の社長。

彼は矢沢永吉やハウンドドッグを世に送り出した人で、

業界ではちょっとした有名人だった。

平社員だった自分が、なぜかその社長に気に入られてしまった。

その頃、自分は企画書を書くのが楽しくて、

膨大な数の企画書を書いては本社に送りつけていたのだが、

そのうちの数点が社長の目に留まったらしい。

食事の席や酒の席、出張の移動の間など、

その社長といろんな企画について語りあった。

彼が語った言葉の中で、一番印象的だったものがある。


「世の中には、下絵に色をつけることができる人間はゴマンといる。

が、下絵を描ける人間はごく少ない。

下絵の勉強をしろ。そうすれば、君は大きな人間になれる。」


彼からのこの言葉で、

その後の自分の企画マン人生の道筋が形成されたといっていい。



その後、いくつかの転職を経て地元に戻り、

音楽を通じ、ある社長と巡り合った。

歳はかなり離れていたが、年齢を感じさせないパワーがあり、

ひょんなことで誘われて、彼の会社に入社した。

社長天皇、というほどではないが、彼は、

200名を超える社員から、雲の上の存在のように思われていた。

が、自分と彼は、プライベートの付き合いから始まったこともあり、

特に二人きりになったときは、遠慮のない言葉をぶつけ合い、

しばしば喧嘩になったことがある。

あるとき、大がかりな企画の実行の可否について意見を違え、

口論になった折に、彼の言った言葉がある。

「お前は、もし会社が倒産しても、収入を失うだけ。

でも俺は、すべてを失う。

この会社は、俺のこれまでの人生を担保にしてやってきた。

お前は、これからの自分の人生を担保に入れて、

この会社を支えていく覚悟があるか?

もしも、その覚悟があるのなら、対等の立場でやってやる。」


痛烈な内容に、返す言葉が出なかった。

"人生を賭ける"という言葉は、その響きの美しさで多用されるが、

"人生を担保に入れる"というのは、なんとも生々しく、

苦み切った言葉に感じられ、少なからず畏怖心を駆り立てられた。



その後、数年来の付き合いのある先輩の会社へお邪魔し、

彼の父である社長と話す機会があった。

こちらの会社は、その業界の地元最大手で、

前述した会社よりも規模が大きく、創業も古い。

しかし、この社長さんは、社員にとって雲の上の存在、どころか、

毎朝どの社員よりも先に出社し、窓のカーテンを開けて回り、

喫煙所で若い社員と肩を並べて煙草を吸い、

豪華な社長室は居心地が悪いと、営業部の一角に机を置いて、

のんびりと新聞を開いてる、一風変わった老紳士だ。

なぜ、そのように過ごしているのかということを、聞いたところ、

まるで子供のような笑顔をして、こう答えて頂いた。


「僕は、社員の笑顔を見るのが好きなんですよ。

会社がちゃんと運営されているのかを見るのに、

もっとも簡単で、もっとも間違いのない方法は、

決算書を開くことじゃなくて、ひとりひとりの社員の顔を見ること。

社員が幸せな顔をしていれば、会社がちゃんと利益を上げて、

社員やそのご家族に、しっかり還元できているってことでしょう。

だから、僕はいつも会社の中をウロウロしてるんですよ。」


この言葉には、深い感銘を覚えた。

この会社の人達は、皆互いに仲良く、

互いの人格を尊重して仕事をしている雰囲気に満ちている。

経営者の志の持ち様で、その会社の体質というものが

決まるのかもしれない、と思えた。



現在、自分も社長という仕事をやっている。

が、これまで出会ってきた社長達のことを振り返ってみると、

なんとも魅力のない社長をやっているものだ。


下絵、を描くのが自分以上に上手な仲間に恵まれているし、

対外的な地位も名誉も、銀行借金も無いので、

人生を担保にすることもない。

会社の中をウロウロせずとも、いつも仲間たちとゲームをして

仲良く遊んでいたりする。

この状態が、精神的にも、性格的にも、一番ベストだと思っている。


こうやって書くと、

まるで何もしていない社長のように思われてしまいそうだが、

そんなことはない。

どこの社長もそうだと思うが、社長の役割のうちで最も大事な、

「決断する」という仕事は、かなり高い意識をもってやっている。


決断するだけなのか、と思われそうだが、そうでもない。

雑用もやっているし、みんなと食事に行って盛上げ役をやったりと、

それなりに忙しい。


決断して、雑用をやって、飯を食ってるだけか、と思われそう・・・

いや、そんなよがった見方しか出来ない人を相手にするのは、

まさに時間の無駄というものなので、やめておこう。



そういえば、社長という仕事を実際に始めてみて、

ひとつ分かったことがある。


それは、「勘が鋭くないとやっていけない」ということだ。


勘、なんてものは、サラリーマン時代には、

自分の中であまり育てていなかった。


何か企画を立てて、プレゼンテーションをするといった場面で、

「その企画が成功すると言い切れる根拠は何か?」と聞かれると、

その根拠となり得るデータを提示して説明するのが常識である。


まさかその場で、

「成功する気がします。これは私の勘です。」などと

言ってのける者は稀有であろう。


しかし、社長をやってみて分かったのだが、

この"勘"というものは、非常に大切なのだ。

はっきり言ってしまえば、データよりも大切だ。


いや、いま少し正確を規するなら、

データというものに捉われて頭が狭くなっている状態より、

頭を広くして"勘"を働かせている状態のほうが、

よりはっきりと物事が見えることがある、ということだ。


この話を、知り合いの社長数人に話してみたところ、

君も社長らしくなってきたな」と、ニヤニヤされながら誉められた。

どうも、思っていた以上に、社長というのは奥の深い職業のようだ。



先日、知り合いのシェフに、

釣りをはじめるから一緒にやりませんか?と誘われた。

しかも都合のいいことに、

今日はどこで何が釣れそうだ、といったニュースに頼らず、

釣竿一本を背負ってフラッと出かけよう、といったノリなのだ。


まさに"勘"に頼るところになりそうだが、

日頃あまり勘を磨く機会がないので、むしろ望むところだ。

釣り場に行って、勘を頼りに竿をたらし、

ドドンと大魚を釣り上げてしまう自分の姿を想像してしまうと、

なんとも面白く、その日の来るのが待ち遠しくて仕方ない。



・・・釣り場に、知り合いの社長達が並んで座っていたりしたら、

もっと面白いのだが。



END

| コメント (0) | トラックバック (0)