カテゴリー「映画・テレビの話」の5件の記事

地デジの美しさは驚きだ。



地デジの美しさは驚きだ。



一ヶ月ほど前にテレビを地デジに買い換えたのだが、

あまりの映像の美しさに驚嘆した。


いや、ここまでキレイだとは、全く想定の範囲外だった。


プラズマテレビを初めて観たときの驚きよりも、凄い。



地デジを観れるようになってからというもの、会社の

アナログテレビを観るのが耐えられなくなった。

映像が汚すぎる。



家でテレビを観る時間が増えた。

とくに、NHKを観る時間が圧倒的に多くなった。

ハイビジョン映像の番組が多いからだ。


逆に、テレビ朝日系の番組を、あまり見なくなった。

自分の住む地域では、テレビ朝日系列だけが、

デジタル放送化が遅れているからだ。

テレビ朝日を観るときは、わざわざ映像の汚い

アナログ放送に切り替えてから観なければいけない。

早いところデジタル放送にしてほしいものだ。




どうにせよ、テレビというメディアは、地デジ化によって

飛躍的に進歩するだろう。


映像が驚異的に美しい。テレビを観る人が増える。

それぞれの人の、テレビを観る時間が増える。


そうなると、広告主もテレビ広告を打つ意義が高まる。


テレビ側も、デジタル編集が主になることで、

映像製作はより映画のクオリティに近づき、

映像の保存やデータベース管理も容易になるだろう。



近い将来、NHKは、過去の大河ドラマをデジタル配信

するサービスを始めるかもしれない、という。

"独眼竜政宗"や"翔ぶが如く"を、好きなときに観れる、

なんて素晴らしいことだろう。


そうなると、自分など、一日中テレビの前から

動かなくなるかもしれない。





昔からテレビをあまり観ないほうだったのだが、

地デジになってから、いろいろと観るようになった。






現在の自分のテレビ番組視聴リストを挙げてみよう。






毎週あさ8時15分からのNHK連続テレビ小説は

欠かさず観ている。



『純情きらり』というシリーズが現在放映されている。



宮崎あおい、という若手人気女優が主役で、

第二次大戦の激動の時代に、音楽や芸術で道を

志す若者達の姿を描いていて、面白い。


寺島しのぶ、室井滋、戸田恵子、といった

劇団出身の実力演技派女優が揃っていて、

なかなか見ごたえがある。


ちなみに、これまでに5回ほど泣いた。




この『純情きらり』が終わったら、そのまま


情報番組 『とくダネ!』にチャンネルを替える。



この時間の朝の情報番組は、


小倉智昭の『とくダネ!』

みのもんたの『朝ズバッ!』、

極楽とんぼ加藤の『スッキリ』、


この三番組の三つ巴戦になっているのだが、

自分はキャスター小倉智昭が好きなので

『とくダネ!』を観ている。




どうでもいいことだが、小倉智昭は、実は

カツラらしい。知り合いの芸能リポーターが

こっそり教えてくれた。しかも手の込んだことに、

4つのカツラを使い分けているそうだ。


①散髪直後 → ②一週間後 → ③二週間後 →

④三週間後 → (散髪直後へ戻る)


この①から④のカツラを、ローテーションしている

というわけだ。


思わず笑ってしまうが、プロ意識が高いのだろう。




平日の月~金は、この『純情きらり』『とくダネ!』

だけしか固定番組はないが、格闘系の番組と、

ゴルフ中継、サッカー中継は、なるべく欠かさず観る。





土曜になると、いくぶん早起きになる。



まず、朝7時からテレビ東京アニメ『銀魂(ギンタマ)』

を観る。



このアニメ、まったく意味が解らなくて、最高に面白い。

朝から、爆笑しながら観ている。今日も何度も爆笑した。


周囲にアニメ好きが多いのだが、なぜか誰も『銀魂』

知らない。マニアックなアニメなのだろうか。




そのあとは、やはり『純情きらり』を観て、


そのまま、オセロ司会の情報番組 『知っとこ!』を観る。



別にたいした番組ではないのだが、オセロの二人以外の

レギュラー陣が中尾彬と桂ざこばという、強烈なオッサン

二人がキャスティングされていて、かなり面白い。



土曜の朝は、関西テレビ局制作番組の激戦区で、

『旅サラダ』という優良旅番組もあるのだが、こっちは

テレビ朝日系列、つまり地デジ放送ではなくアナログ

放送、映像が汚ないので、まったく観なくなった。





日曜は、一週間のうちで最も楽しみなテレビ視聴日だ。


7:30からの『轟轟戦隊ボウケンジャー』

8:00からの『仮面ライダーカブト』


この贅沢な二本立てを、毎週楽しみにしている。



自分の"ヒーロー番組愛"に関しては以前のブログで

書いてみたが、悲しいことに誰からの反応も無かった。



友人の息子に可愛い男の子がいるのだが、この子が

あと2年もすれば、この日曜の朝の楽しみを共有して

くれることになるだろう。それが楽しみで仕方ない。




ヒーロー番組を見終わったあとは、

関口宏の『サンデーモーニング』を観る。



関口宏はどうでもいいのだが、コメンテーター陣が良い。

浅井慎平、岸井成格、大宅映子、田中秀征といった

綺羅星のようなコメンテーターが揃っている。


なにより、スポーツコーナーの大沢親分張本勲氏

が最高に楽しい。「あっぱれ!」「喝!」のコーナーだ。

あれを観ないと、一週間のスポーツを楽しんだ気に

なれない。



そして何より、サッカー解説者の中西哲生が出る。

これが一番大きい。


中西哲生は、今の日本のサッカー解説者で、唯一

まともにしゃべれる解説者だ。


セルジオ越後や松木安太郎といった低レベルな

サッカー解説者達をテレビ界から追放して、

すべてのサッカー中継、サッカー番組を中西哲生

が解説するようになれば、日本のサッカーは数年

早く成長する、と自分は本気で思っている。


中西哲生が出る番組、というだけで、どんな番組

でもかならず観る。しかもそれがサンデーモーニング

というのが贅沢極まりない。



もし自分の会社が、将来、大きくなって、テレビ広告

を出せるようになったら、おそらく何も考えずに

サンデーモーニングにCMを打つ。

そして、CMには中西哲生を起用する。





日曜の深夜は、TBS『世界遺産』を観る。



地デジの美しさを、もっとも楽しめる番組だ。



その番組のあとに、あまり観る価値のない

ローカル番組がやっているのだが、

この番組のスポンサーが、自分の敬愛する

先輩の会社なので、一応観るようにしている。


だが、当の先輩自身があまり観てないようなので、

そろそろ観るのを辞めにしようかと思っている。





こうやって書いてみると、比較的よくテレビを観て

いるほうなのではないかと思う。



自分はテレビ業界の出身で、業界から足を洗った

ときに、もう人生でテレビを観ることはないだろう、と

思っていたのだが、いま、こうやって地デジでテレビ

を観れるようになると、多少、昔に戻って番組を作り

たいなぁと、正直、思ってしまう。




END

| コメント (0) | トラックバック (0)

嬉し悲しいジブリ人生だった。



嬉し悲しいジブリ人生だった。



小学生の頃に観た「風の谷のナウシカ」に始まり、

昨日、映画館で観た「ゲド戦記」に終わったジブリ人生。

そう・・・昨日の夜、確実に終わったのだ。



映画というのは、多くのお客さんの夢と期待と、

作品に携わった人達の想いが込められているから、

その映画が上映されている期間に、

「面白かった」とか、「面白くなかった」とか、

そういう批評をすべきではない、と自分は思っている。



ただ、「ゲド戦記」は、

自分の中の"ジブリの定義"を、完全に塗り替えてくれた。





"飛ぶジブリは面白い、飛ばないジブリは面白くない"

という定義が自分の中に産まれたのは、

「平成たぬき合戦ポンポコ」のときだった。


映画を観終わって、この胸のモヤモヤは何だろう、と

思いながら映画館を後にし、エレベーターに乗った。

すると、ひとりの女の子が、手を引く自分の母親に、

"ねぇ、たぬきさん、飛ばなかったの、どうして?"

と言っているのを隣で聞いて、胸のモヤモヤが晴れた。


ナウシカはメーヴェーに、パズーはフラップターに乗り、

キキはホウキにまたがり、ポルコ・ロッソは飛行艇を

操り、トトロはコマを回して、皆、大空を飛んだ。

だが、たぬきは、飛ばなかった。


妙な表現になるが、

大空を飛ぶ、というシーンにおいてだけは、

ジブリは他のアニメ作品の追従を許さない。

だが、大空を飛ぶというシーンを省いてしまえば、

べつにジブリでなくとも面白い作品はたくさんある。


"飛ばないジブリは、ただのアニメ" なのだ。


それと同時に、"飛ぶジブリは、かならず面白い"

そう、ずっと信じてきた。



「ゲド戦記」


いよいよラストシーン、というところで、

自分は、ただひたすらに、



お願いだから、大空を飛ばないでくれ・・・・。



と、祈り続けていた。



だが、見事に、飛んだ。


自分の中のジブリ定義のひとつが、これで壊れた。





"宮崎作品はアタリで、高畑作品はハズレ"

という定義が生まれたのは、

「おもひでぽろぽろ」のときだ。


天空の城ラピュタ、となりのトトロ、魔女の宅急便と、

傑作アニメを立て続けに発表して、勢い上がるジブリ

ブランドに、初めて疑問符が打たれた作品が、コレ。

「なんだこれ?ただのアニメやん」という感想だった。


駄作、とまでは言わないが、なにもジブリブランドを

銘打つ資格は無いのでは、と感じた。


すぐ後に、この作品が宮崎監督のものではないことを

知り、ああ、それなら仕方ない、と自分を納得させた。


それを証明するように、その二年後、宮崎作品である

紅の豚が公開され、さすが、と納得させられた。


「宮崎作品は絶対に面白い」

これが、自分の中の揺るがぬ"ジブリの定義"だった。



昨日、映画を観に行こう、と友人達を誘ったところ、

そのうちのひとりが、"パイレーツ・オブ・カリビアン"か、

"MIⅲ"を観よう、と言い出した。

正直どれでもよかったのだが、頭に浮かんだのは、

「宮崎作品は面白い」という定義だった。


今回の監督は、宮崎という苗字こそ同じだが、

駿監督の息子の吾郎さんの作品だ。

だが、そんなことはどうでもよかった。

高畑じゃなくて、宮崎、それだけでよかった。



「ゲド戦記」

いよいよラストシーン、というところで、

自分は、ただひたすらに、



お願いだから、最後のスタッフロールで、

"宮崎"という文字を出さないでくれ・・・・。



と、祈り続けていた。



そんなことが起こるはずもなく、スタッフロールには

高々しく、"宮崎"の文字が流れた。


自分の中のジブリ定義が、またひとつ、壊れた。





・・・・・・映画というのは、多くのお客さんの夢と期待と、

作品に携わった人達の想いが込められているから、

その映画が上映されている期間に、

「面白かった」とか、「面白くなかった」とか、

そういう批評をすべきではない、と自分は思っている。



だから、「ゲド戦記」についての批評は、あえてしない。



ただ、

ひとりの人間の、"嬉しくも悲しいジブリ人生" が、

昨日、静かに幕を閉じたのだ・・・・・・。






あ、最後に三文字だけ書いておこう。


金返せ




END

| コメント (0) | トラックバック (1)

最近の仮面ライダーは、大人の



最近の仮面ライダーは、大人の自分が観ても楽しめる。



仮面ライダーブレイド、仮面ライダー響、仮面ライダーカブト、

という直近3シリーズを観てきたのだが、とにかく面白い。


アクションシーンは勿論のこと、ミステリアスな映像描写、

レベルの高い演技、謎に謎を重ねた奥深いストーリー、

どこをとっても、自分が子供の頃に見ていた仮面ライダー

とは、全く作品としてのレベルが違う。



だが、違っているのは、作品のレベルだけではない。



仮面ライダーは正義の味方で、悪を倒すヒーローだ、

という認識が、もうすでに時代遅れなのだ。


現在放映されている仮面ライダーカブトには、

主役のカブトの他に、5人の仮面ライダーが登場し、

それぞれが複雑な人間関係をもっていて、みんな仲が

それほど良くなく、自己中心的に行動する。


一応、悪敵のようなものもいて、それらと戦うのだが、

「なぜ俺は、こいつらを倒さなければいけないのか?」

「そもそも、なんで俺は仮面ライダーなんだ?」

といった妙な悩みを抱えていたりする。


逆に、悪敵のほうにも、変に人間染みたヤツがいて、

滅茶苦茶に悪さを働きながらも、その行動の正当性を

論理的に説明してしまう。


正義のヒーローは、正義って何だろう?と苦悩し、

悪の権化にも、れっきとした言い分がある。


要するに、"赤胴鈴之助"から始まった日本の子供向け

テレビの「勧善懲悪」の世界を、最近の仮面ライダーは

まったく裏切ってしまっているのだ。




自分の子供の頃は、ウルトラマンをはじめとした

ヒーロー達が、ブラウン管の中を所狭しと暴れ回り、

悪人どもをバッタバッタとなぎ倒していた。


ヒーローに憧れ、ヒーローになりたいと願っていた。

ヒーローは、悪いことをするヤツを、絶対に許さない。

だから自分も悪いことはしない。悪いことをするヤツは

退治されるべきものなのだ。



実は、この状態、「武士道精神」に非常に似ている。



当時、武士というのは、強く、勇ましく、誇り高く、周囲から

尊敬される存在だった。"花は桜木、人は武士"という言葉

の示す通り、日本社会におけるヒーロー的存在だったのだ。

その武士の生き方を教えるのが、武士道である。


例えば、「女性を叩いては駄目です」という教えがある。


なぜ男性はよくて、女性は駄目なのか?などと考えて

しまいそうだが、そこに理屈は無い。

武士たる者は、女性を叩かないのだ。

女性を叩くのは、恥ずべき行為なのだ。

子供達にとって、理屈は要らない。憧れの武士に

なりきろうとする、その潔癖な精神が、決して女性を

叩かせない。


この"武士"の存在が、"ウルトラマン"である。

武士も、ウルトラマンも、赤胴鈴之助も、女性を

叩いたりしないし、人の物を盗んだりしないのだ。

悪いことはしちゃいけない。理屈は要らないのだ。



この精神は、幼稚園や小学校が教えるよりも、

テレビのヒーローが教えるほうが早いのだ。



だが、昭和60年代から、子供向けテレビ番組の

"勧善懲悪"の教えが、だんだん薄らいできた。



ガンダムという有名なアニメ番組があり、これこそが

勧善懲悪の図をひっくり返してしまった典型的な作品

なのだが、とにかくもう、登場人物がバタバタと戦争で

死んでいく。

このことだけでも子供の教育に悪いのだが、

その戦争のさなかで、悪の軍団の副リーダーが、


戦争によって人口がずいぶんと減りましたが、これは

都合がよいことです。これから先は、無能な人間は

残さずに、有能な人間だけを残しましょう。


といった意味のセリフを言うのだ。


今考えると、ヒューマニズムや反マキャベリズムを

題材に、人間愛的なものを描いた大人向けのアニメ

なのだが、そういう製作者の意図は、テレビの前の

幼い子供達には伝わらない。


戦争ってそんなに悪いものじゃないんだ、

悪いことをするにも、理屈があるのね、

というように、表面的なものだけを捉えた子供が

テレビの前に大勢いたはずだ。



こういったアニメを見て、人間が曲がってしまい

社会に順応できなくなった子供達が、そのまま大人

になって、ニートになったり、引きこもりになったり

したとも考えられる。はなはだ危険なことだ。


自分は、そういったアニメや漫画を見ることなく、

"ハウスの世界名作劇場"と"ドラエもん"だけを愛して

きたので、幸い曲がった人間にならずに済んだが。



このように、最近の子供向けテレビ番組は、大人に

とって面白いものはあるが、子供の教育にとって

適切だといえるものがほとんど無い。




しかし、そんな中で、ひとつだけ、勧善懲悪のテーマ

を頑なに守り続けている作品がある。




かの"ゴレンジャー"から数えて、今年で30作目を

迎える 「戦隊ヒーローシリーズ」 だ。



テレビ朝日系、日曜あさ7時30分から毎週放映

されているこのテレビシリーズは、

"5人の正義のヒーローが、悪の軍団と戦う"

という勧善懲悪スタイルを、頑なに守り続けている。


いま放映されている "轟轟戦隊ボウケンジャー" は、

5人のヒーローが、世界中に隠されている秘宝を

探し出し、これを悪の軍団に利用されないように

保管する、というストーリーだ。

悪の軍団は、徹底的に悪い奴らで、対するヒーロー

も皆かっこよく、必ず敵を倒して、毎回ハッピー

エンドで終わる。観ていて、非常に痛快だ。


ちなみに、宝を探すという行為は、"ミッション"と

名づけられ、5人のヒーローは、このミッションを

完了するために行動する。

ときに、個人的な感情やわがままで、仲間意識

が揺らぐシーンもあるのだが、あくまでミッション

という目的を達成するために結束している。

このあたりの設定も、現代社会における若者の

生き方やスタイルを反映しているようで面白い。



このボウケンジャーの、ひとつ前のシリーズは

"魔法戦隊マジレンジャー"という作品だったが、

こちらは、5人の兄弟が悪の軍団と戦うストーリー。

親を亡くした思春期の兄弟達は、ときに喧嘩をして

バラバラになりそうになるのだが、最後は必ず

熱い兄弟愛で結束し、試練を乗り越えるのだ。


実に美しい話で、最終回近くに、死んだはずの

父さんと母さんが出てきたあたりでは、不覚にも

涙を流してしまった。それほどピュアな作品なのだ。




ハウスの世界名作劇場が観れなくなった今、

自分は、この戦隊ヒーローシリーズを

こよなく愛している。


毎週日曜の朝は、この放映を見るのが楽しみで、

セットした目覚ましが鳴る前に起きてしまうほどだ。


大好きなこの番組が、スポンサーのバンダイの倒産

で放映終了してしまうことのないよう、バンダイが発売

する合体ロボはかならず買う。ささやかな売上貢献だ。

しかも、買った合体ロボを会社の机に飾り、仲間達が

少しでも戦隊ヒーローに興味を持つよう期待している。


一部の仲間は、これを心なくあざ笑い、組み立ててある

合体ロボをバラバラにしたり、犬に与えて遊んだりして

いる。悲しいことだ。だが、これでめげてはいけない。



この戦隊ヒーローシリーズが放映され続ける限り、

日本人から"勧善懲悪"の芽が無くなることはない

と、固く信じているからだ。




END

| コメント (0) | トラックバック (0)

テレビの台本を書いていたことが



テレビの台本を書いていたことがあるので、

こうやってブログを書いていると、その時のことをよく思い出す。



テレビ番組というのは、簡単にいってしまえば、

ディレクターが作ったものを、出演者が演じる、というものだ。


「どういうものを作るべきなのか」という大枠を、プロデューサー

が決め、ディレクターはその枠の中で、いろんな企画を考える。



番組のスタイルによって様々ではあるが、

ディレクターという仕事は、主に6つの構成で成り立っている。



1)「ネタを考える」

2)「出演者を決める」

3)「ロケをする」

4)「編集をする」

5)「台本原稿を書く」




一番最初の「ネタを考える」、これが最も大変な作業だ。


テレビのディレクターだけでなく、メディアの制作業務は、

雑誌であれ、ラジオであれ、すべてこの作業から始まる。

苦心しながらあれこれとネタを出し、プロデューサーに

提案し、そこで「よしやってみろ!」と言われてホッとするか、

もしくは、「つまんないから却下!」と言われて落胆するか。

ディレクターという仕事は、これの繰り返しだ。

ヒドイ場合は、締め切りまでにネタが決まらずに、仕事場から

脱走してしまったり、ネタを生めない苦しみのあまり、

胃に穴が空いて入院してしまった仲間もいた。怖いものだ。




「出演者を決める」という仕事は、比較的ラクで、面白い。


考案したネタを、誰にやらせるか、つまり"キャスティング"だ。

ここがうまくハマれば、ネタが数倍に面白くなることもあるし、

ハズしてしまえば、ネタが台無しになることもある。

タレントさん側の立場からしてみれば、

このキャスティングの段階で、是が非でもリストに入りたい。

だから、ディレクターやプロデューサーとのコミュニケーションが

欠かせないのだが、タレントとして優秀なものがあれば、そんな

努力は要らずに、あちこちのディレクターから声をかけられる。

今のテレビタレントだったら、青木さやか、なんかは、おそらく

各局のディレクターは、喉から手が出るほど使いたいだろう。




「ロケをする」という段階へ来ると、現場の力量が問われてくる。


出演者、カメラマン、音声、照明、この4人のスタッフの力量だ。

お互いのウマが合わないとやっていけない部分もあるので、

出演者を除いた3人は、グループで活動している場合が多い。

音楽バンドで言うなら、

出演者がボーカルで、あとの3人がバックバンド、みたいなものだ。

テレビの制作に携わったことのある人間は、家でテレビを見るとき、

この"現場の力量"というのが、画面を通して自然に見える。

とんねるずの番組で、今はあまり見かけないが、野球をする

コーナーが人気を博していたことがあった。あの現場を作っていた

カメラマン、音声、の技量は、間違いなく、当時日本一だった。




「編集をする」、この仕事は、ディレクターの技量が最も表れる。


いわゆる"VTR"を作る作業、ということになるのだが、

映像のつなぎのテンポ、音を当てるタイミング、ナレーションの

盛り上げ方など、あらゆるバランスが必要だ。

おそらく、オーケストラの指揮者の感覚に近いと思われる。

しかも、この編集の良し悪しというものは、テレビ視聴者にも

ストレートに伝わるものだ。

K-1やプライドやボクシングなど、格闘系のスポーツがテレビで

放映されるとき、TBSやテレビ朝日が放映するより、

フジテレビか日本テレビが放映するほうが、断然おもしろい。

それぞれの局に、格闘番組の担当チームがあるのだろうが、

これがまさに、その編集能力の差というものが

顕著に表れてしまっている例だろう。




「台本を書く」というのは、言葉の通り、作家的な仕事だ。


主に、ネタのVTRに当てこむ"ナレーション台本"と、

VTRが終わってスタジオに戻ったときの"トーク台本"の

二種類に分かれる。

ナレーション台本は、VTRの映像や音のテンポ、に

しっかりと合わせて書かなければいけないし、

トーク台本は、司会者を含めたスタジオ出演者の、

それぞれの個性や立ち位置に合わせた内容を

考えないといけない。

出川哲郎に知的なことをしゃべらせるような台本を

書くと、おそらくマネージャーさんから拒否されるし、

中尾彬に、椅子から転げ落ちてもらうシーンを台本に

書いていたりなどしたら、二度と出演してもらえない。

そういう意味で、磯野貴理子などは、スタジオトークや

立ち回りにオールマイティなので、ディレクターとして

実に台本を書きやすいタレントといえる。


タレントの能力がディレクターより高い場合、この台本が

役に立たない場合もある。

自分が以前、プロデューサーを務めていた番組で、

さま~ずの2人を使ったことがあるのだが、

番組ディレクターの作った台本が、ロケの現場で

彼らのアドリブによって、大幅に書き換えられたことが

あった。仕上がってみると、元の台本より面白かった。


ちなみに、テレビの台本には、文量の制限がある。

スタジオ時間が40秒ならば、その尺の中にしっかりと

収めなければいけないし、VTRのナレーションともなると、

秒よりも更に小さな「フレーム」という単位まで加わる。

30フレームで1秒、という数え方なのだが、例えば、

『すると、次の瞬間!』のセリフが、2秒25フレームだとする。

しかし、そのセリフを当てる映像は、2秒10フレームしかない。

15フレームを縮めるために、『と、次の瞬間!』に書き直す。

そういう作業を、細かく行っていくのだ。

気が遠くなりそうな作業だが、

これが慣れてくると、このセリフはこれぐらいの尺だろう、と

自然に身についていくものなのだ。




自分が、このテレビの仕事をやっていたことを思い出すに、

ディレクターとしては、まあ優秀なほうだったと思う。


まず、ネタで困ったことはなかった。

ネタで困らない、ということは、プロデューサーにダメ出しを

されて、他のネタを考え続ける、という時間がないわけで、

その分、別の作業に時間を割くことができた。


ロケをするにも、優秀なスタッフに恵まれていた。


編集、というのがちょっと辛かった。なぜなら、

自分は夜型ではなく、朝型だったからだ。

編集スタッフというのは、だいたい夜型の人間が多く、

朝から編集したいといっても、誰も手を挙げてくれないので、

眠い目をこすりながら、夜通し編集していたことを思い出す。



台本を書く、という仕事が、一番思い出に残っている。

自分は教養がなかったので、台本に誤字や脱字が多く、

てにおは、の間違いだらけだった。これで随分と苦労した。



ある時、司会者のアナウンサーに、


「あなたの担当する放送の日は、他の日より20分ほど

早く、私はスタジオ入りしています。ご存知でしたか?」


と言われた。台本の手直しをするためだ、という。


これを聞いて、その翌日から、台本を完璧に書けるよう

必死で努力した。


それまでは勢いだけで書いていたのだが、一度書いた

台本を何回も読み直し、間違いを見つけては修正し、

文章力に強い仲間のディレクターに校正を頼んだ。


それから1ヶ月ほどして、その司会者は、ようやく

他の日と同じ時間に、スタジオ入りするようになった。




このブログは、

あの頃に必死で培った文章力を、少しでも衰えさせない

ために始めたようなものだ。


毎朝1時間だけ時間をとってブログを書く、と決めていて、

相変わらずネタに困ることだけは無さそうなのだが、

あの頃と同じように、書いた文章をもう一度読み直し、

間違いを見つけて修正する、という癖が、未だに抜けない。




END

| コメント (0) | トラックバック (1)

号泣するタイガー・ウッズを見ながら、



号泣するタイガー・ウッズを見ながら、夜中にテレビの前で、

嗚咽を上げて泣いてしまった。



自分はゴルフが下手くそで、なかなか上達の見込みが無く、

最近では自分の才能のアタマ打ちを感じて、

半ば諦めを感じているところだ。


せめてテレビのゴルフ中継でも見ていれば

少しは上手くなるかもしれない、と思い、

チャンネルを回してゴルフをやっていたら、

アマチュアゴルフや女子ゴルフであろうが、とりあえず

なんとなく見ることにしている。



昨日の夜も、そんな軽い気持ちで、

全英オープン最終日の中継を観ていた。



ところが、このテレビ中継を見て、

素晴らしいシーンに出会ってしまったのだ



多くの名プレーヤー達の激闘の末、ウッズが優勝した。


彼は、過去の全ての優勝の瞬間を、

派手なガッツポーズと満面の笑みで締めくくってきた。

おそらくテレビ中継を見ている全てのゴルフファンが、

今回の大会でも、そのシーンを待ち望んでいた。


だが、彼は、その期待に応えなかった。



幼い頃から二人三脚で歩いてきた最愛の父が、

5月に、この世を去った。


彼に、ゴルフのすべてを教えてくれた父は、

彼にとって一番の宝物だった。


これまでも、試合の最中に調子が狂ってきたとき、

彼は携帯電話を取り出し、

テレビの中継を通して自分を見てくれている父親に、

「僕、どこかおかしい?」とアドバイスを求めていたという。


そのたびに父は、適切なアドバイスを授けた。

そして最後に必ず、愛する息子へ励ましと勇気の言葉を伝えた。


最愛の父を失った翌月、ウッズは、

プロ入り初の、メジャー大会予選落ちを経験。

失ったものの大きさは、彼に大いなる試練を与えた。


しかし今回、彼は見事にその試練を乗り越え、

精神の崖淵から這い上がった。



最終18番ホール。ボールがカップに収まった瞬間、

大勢の観客の歓呼の声を背に、ウッズは、

ファンが期待していたいつもの笑顔を出さず、

顔を涙でくずしながら、キャディーを抱きしめ、

そのまましばらく動かなかった。


そして、近づいてきた妻の肩に顔をうずめた。


今日のプレーを、父に見せたかった。

そう妻に言ったという。


高まる気持ちを抑え切れなかったのか、

抑えようとしなかったのか、

彼は妻を強く引き寄せ、激しく号泣した。



抱き締めあう2人の姿が、大勢の総立ちの観客を背景に、

まるで、一枚の絵画のように輝いていた。



・・・・こんなに痺れるシーンを、久しぶりに見た気がする。



何より、本当に久しぶりに、

"嗚咽を上げて" 泣いてしまう自分に出会えたのだ。


男は泣くもんじゃない、まあ、それはもっともなことだと思うが、

感情というものは時に抑え難いものだ。

そして、心の底まで響くようなシーンに出くわしたとき、自分は

ただ泣くのではなく、嗚咽を上げて泣いてしまうのだと知っている。




まあ、ここまで書いたことだし、

感動をくれたウッズへの感謝の気持ちも込めて、

まあかなり恥ずかしいことだが、

「これまで自分が嗚咽を上げて泣いたシーン」

を振り返ってみることにする。




18歳の頃にテレビで観た、『北の国から '87初恋』。



田中邦衛の演じる五郎の、息子・純への愛を描くシーン。

純は、初恋のれいちゃんと、東京の定時制高校へ通うことを

夢見るが、彼女の家が借金で破産して夜逃げしてしまい、

純はひとり東京へ旅立つことになる。

初めて富良野を離れる日。

反対する父を振り切って旅立つ自分の心と、

故郷への想いが混在していた。

そこへ、父・五郎が駆けつけてくる。

おもむろに純の手をとり、握りしめた餞別を手渡す。

「元気でな、元気でな!」見送る父の声を背に、

純がその手を開いてみると、そこには、

富良野の大地の泥のついた1万円札があった。



ここ。かなりキタ。このシーン。


赤ん坊の頃に毎日号泣していたことを数えなければ、

このシーンが、自分が生まれて初めて嗚咽を上げて

号泣した瞬間だ。




22歳の頃、再放送で見たテレビドラマ

ひとつ屋根の下』の、第12回。


両親のいない5人兄弟が、ひとつ屋根の下に集う話。

ひたむきに兄や妹の面倒をみる長女・小雪(酒井法子)は、

ある日、自分だけが兄弟と血がつながっていないことを

知ってしまい、ひとり家を出る。

兄弟たちを深く愛していたからこそ、

そのショックは大きかった。

小雪を探し回る四人の兄弟たち。

馬鹿で一本気の長男・達也(江口洋介)は、

我を忘れて妹を追い求める。

ようやく発見するが、小雪はひどく疲れており、

貧血で倒れてしまう。

すぐに病院に運んで輸血をする、と言い出す達也。

大げさだよ、と笑う小雪・・・・・・次に小雪が目覚めたときは、

病院のベッドの上だった。

隣を向いてみると、同じようにベッドに横たわる兄がいる。

お前が家出なんて馬鹿なことをするから、

俺が輸血しなきゃいけなくなったじゃないか。でも、

これで俺達はもう、血のつながった兄弟だ。

だからもう、家出なんてするのはやめろよ・・・。

輸血をすれば血がつながる、そんな子供のようなことを

本気で考えてくれた兄の横顔を見ながら、

小雪の眼から大粒の涙が溢れ出す。

そして、名曲「サボテンの花」のイントロが流れ出す・・・。



はい、ココ! この瞬間、一気に号泣。そして嗚咽。


ちなみに、3年後の25歳のときに、レンタルビデオ店で

このドラマを借りた。果たして同じシーンでもう一度泣けるのか、

と試してみたところ、3年前より泣けた。




31歳の時に観た、映画『壬生義士伝』のワンシーン。


時は江戸末期、主人公は心優しき侍、貫一郎(中井貴一)。

幼い頃から盛岡の貧しい家に生まれたものの、

剣と筆をよく学び、人格正しく、

周囲からも認められる存在となる。

一目惚れの女性との恋、そして結婚、

将来が楽しみな長男と、まだ幼く愛らしい娘の、

2人の子供に恵まれる。

幸せで平和な日々。だが、そこに盛岡の大飢饉が訪れる。

禄高の高い武士の家ならともかく、

貫一郎の家は、百姓も同然の貧しい暮らし。

武士の面子を保つための生活もできず、

毎日の食事すら窮地の状況で、

しかも愛する妻のお腹には三人目の子が宿っている。

このままでは一家全員が生きていけない。

貫一郎は、家を出て脱藩し、自分の剣を頼りに

稼ぎ口を探す旅に出ることを決意する。

が、当時、脱藩というのは武士にとって最も重い罪で、

二度と国へ戻ることは許されなかった。

だが、貫一郎はその運命を受け入れた。

連れ添った妻との今生の別れ。

未練が残ってはいけないと、愛する息子と娘には

顔を合わせることなく、月の上がった夜に、ひっそりと、

しかし強い足取りで家を出る。

国境の橋を渡る貫一郎。

ここを越えれば、二度と家族には会えない。

意を決して橋を渡る父の背中に、突然、

息子の声が聞こえてくる。立ち止まる貫一郎。

息子よ、来てはならぬ!

・・・うしろを振り返らずにそう言う父に、息子は、

幼い妹・みつの手を引きながら父に近づき、言うのだ。

父上、このようなことをして申し訳ありません。ですが、

みつが目覚めたときに父上がおられぬのは可愛そうです。

父上、どうかもう一度だけ、みつを抱いてやって下さい。

振り返る貫一郎。

たどたどしい足取りで父に向かって歩いていくみつ。

そっと父に抱き上げられる。

まだ言葉もままならない程に幼いみつは、その小さな手で

貫一郎の顔を触りながら、何度も何度も名前を呼ぶのだ。

とと、とと、とと。

貫一郎は、心の奥に固く閉じ込めたはずの想いを我慢できず、

男泣きに泣くのだ。



あぁぁー、ココ!もう駄目。思い出しただけでもう駄目ぇ・・・。


そういえばあの時、激しい涙と嗚咽で、過呼吸になって

死にそうな目に会った。


この映画、上に挙げたシーンだけじゃなく、あと一箇所、

素晴らしいシーンがある。ここも、号泣すること間違いない。




最後に。

これまでに何度も、観よう観ようと思いながら、

ようやく今年の春に観ることができた。


映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のエンディング。


・・・この有名な映画の、最後のシーンについては、

もはや語るべき必要はないだろう。


嗚咽を上げてまで泣くか?と知り合いから

首をひねられたときにはムッとしたが、それは人それぞれだ。

自分は、この脚本手法の映画に、とにかく弱いのだ。


同手法の映画としては『ラスト・エンペラー』も秀逸だったが、

『ニュー・シネマ・パラダイス』には、梯子を架けても届かない。





こうやって挙げてみると、

これまでの自分の人生における「嗚咽体験」は、

すべて映画とドラマによるものばかりだったようだ。



ということは、昨日のゴルフ中継の、

タイガー・ウッズの涙の優勝シーン、あれが、

人生で初めて、生で体験した嗚咽なのだ。


何ということ!軽い気持ちでチャンネルを回していて、

たまたまやっていたゴルフの中継に手を止めたことが、

生涯で最初の出来事に巡り合う運命を生んでくれたのだ。



こうなると、ゴルフという偉大なスポーツの存在と、

そのゴルフの道に自分を誘ってくれた友人に

深く感謝せねばなるまい。



そして何より、ありがとう、ウッズ。

君がいてくれる限り、僕はゴルフを諦めない。



END

| コメント (1) | トラックバック (2)