カテゴリー「自己主張の戯」の3件の記事

「人は石垣、人は城」とは、



「人は石垣、人は城」とは、

戦国時代の甲斐猛将武田信玄の名句だが、

現在においては、会社経営者がよく用いる言葉になっている。



米鉄鋼王の故アンドリュー・カーネギーは、

"もし私が、この会社や工場や資産を手放さなければ

いけなくなったとしても、私の共に歩んできた優秀な

技術者達が残っていてくれれば、私は10年を待たずに

会社を再建することができる。しかし、技術者達を

手放さなければいけなくなったとしたら、5年を待たずに

私はすべてを失うであろう"

という言葉を残している。



今は世間の笑いと一部の投資家の憎しみの対象になって

しまっているホリエモンだが、彼も六本木ヒルズに入る前

までは優秀な会社経営者だった。その頃に書いた本を

一度読んだことがある。ライブドアの前身、オン・ザ・エッヂ

が飛躍的に売上を伸ばしたことで世に出てきたホリエモン

だったが、彼曰く、その頃、ひとりのバケモノ営業マンが入社

してきて、信じられないほどの売上を上げていたという。

彼はその後、理由あって退社してしまったが、彼の作った

売上が無かったら今の会社の発展は無い、と断言している。


また、そのバケモノ営業マンについて、彼はひとりで数字を

伸ばすことには長けていたが、部下を育てて牽引していく

魅力に乏しく、将来管理職になるようなタイプではなかった、

天は二物を与えないものだ、と後述している。




確かに、人にはいろんなタイプがある。




会社を運営していくにおいて、もっとも大切なものは

"数字を伸ばしていくパワー"だ。


前述したように優秀な営業マンのパワーが会社を牽引

することもあるだろうし、単純に営業マンの人数だけで

圧倒して数字を伸ばすこともできる。


戦国の時代に当てはめると、さしずめ"兵力"だろう。


それを統括するのが"侍大将"といえる。



だが、その兵力をうまく用いるためには、"参謀役"の

存在が欠かせない。優秀な参謀は、100の兵力を

200にも300にもパワーを増加させる力がある。



"算盤役"も必要だ。どんなに多くの兵力や優秀な参謀

がいたとしても、戦いに必要な武器弾薬や兵糧の数が

満たなければ戦いを続けることはできない。



会社運営も同じことだ。




自分の地元は九州だが、九州男は営業向きが多い。

九州の会社社長のうちのほとんどが侍大将タイプだ。

小さな会社になると、侍ばかりの集まりのまま会社を

運営し、何の作戦もなく、丼勘定で仕事を進めている

場合が多い。


しかし、会社にとって最も大切な要素が"パワー"である

以上、このパターンでも会社はうまく進む。



日本の戦国時代の初期が、これに似ている。

兵と兵とが戦い、群雄割拠として領地を切り取りあって

いくうちはこれでよかった。だが、ある程度まで進んだ

のちに、政治のかけひきというものが必要になってきた。

現在のNHK大河「功名が辻」に登場する石田三成などが

良い例だろう。戦場ではなく政治舞台の参謀として秀吉に

仕え、何十万石の大大名にまでのし上がった。

"参謀役"が自分の会社を持った、という例だろう。


「戦場に出たこともないヤツが、力もないのに偉そうに」と

周囲から陰口を叩かれるが、それを補うために、バケモノ

営業マン、つまり優秀な侍大将として知られる島左近を

大枚をはたいて配下にする。

三成に 過ぎたるものが ふたつあり

島の左近と 佐和山の城

と謡われたほど優秀な侍大将だ。

これにより、大名石田家は磐石な体勢となる。


これは三成の"知"と、島の"勇"が共存した形だが、

いわゆる「智勇兼備」という人物もいた。


真田幸村に代表される大名真田家などは、当主自身が

優秀な侍大将であり、参謀を必要としないほど賢かった。

運命に翻弄されて歴史から消えてしまったが、現在の

会社に当てはめると、優秀なワンマン経営者といえる。




少し時代は飛ぶが、幕末の歴史でも、こういった会社組織

的な集団の例を挙げることができる。新撰組だ。


新撰組の組織は、局長、つまり社長である近藤勇を筆頭に、

参謀・伊藤甲子太郎、算盤役である総長・山南敬介、

侍大将である副長・土方歳三の3人が周囲を固めていた。

沖田総司、斉藤一、といった有名な剣士たちは皆、土方

歳三の直属の部下達で、副長助勤、と呼ばれた。

さしずめ土方が営業部長で、沖田や斉藤が営業分課の

課長、といったところだろう。

その副長助勤の下には伍長がいて、これが営業主任と

いった立場だ。


まあ、人を殺して幕府から金をもらっていたわけで、

かなり非道な営業集団というべきだが、こんな新撰組も

営業・参謀・算盤のトリニティーで構成されていたのだ。



自分の会社では、まだここまで大きな人事構成は必要と

していないが、「人の向き不向き」というものを意識する

材料にはなる。




ふと、自分を振り返る。



人材・能力として見ると、営業5・参謀4・算盤1、といった

割合だろうと思う。少なくとも、何かに一本だったことはない。

歩んできた道のりで見ると、これはとても幸せだ。


苦手な算盤だけの仕事についたことは一度としてなく、

常に営業役や参謀役として仕事をしてきた。


殿様に恵まれた、というのもあるだろう。

初めて就職した会社では、社長みずから参謀役として

育ててくれたし、次の会社では営業の力を養い、

最後の会社では、社長自身が無能に近かったため

営業としても参謀としても十分に力を振るうことができた。


会社を立ち上げたあとも、優れた仲間に恵まれているし、

今のところ他に何も望むものはなく、コツコツと算盤修行に

勤しんでいる。これは本当に幸せなことだ。



逆に、友人の境遇に思いをいたすことはある。

以前のブログでも数回書いたが、自分の周囲の友人は皆、

自分など手が届かないほど優秀な人間が多い。そういう

友人を作っていけるよう、これまで努力してきたからだ。

真田幸村のように智勇兼備でありながら、その能力を発揮

できない環境に身をおく友人もいるし、優秀な参謀や侍大将で

ありながら、主君に恵まれていない友人がいる。


そういった友人が5人ほどいるのだが、彼らに会うたびいつも

同じことを言っている。独立すればよいのだ。

智勇兼備な友人は、独立するという、ただそれだけのことで

環境を飛躍的に良くできるし、参謀や侍大将タイプの人間は、

前述した石田三成のように、優秀なパートナーを探せば、

十分に飛躍することができる。


自分のような小者でさえ、仲間やパートナーに出会ったことで

会社をやっているのだから、友人達ができないはずがない。

もしできないとしたら、それはハレー彗星ほどの確率で、何か

悪い周期がきているとしか思えない。



人間、会社や社会に属していることに意識を強く持ってしまうと、

「自分の価値や能力は他人が測るもの」だと思いがちだ。

これは絶対に違う。

自分の適性や能力を自分で測り、それを生かす最大の方法を

とれるよう、会社や社会を頭から外して、自分自身に意識を強く

持つべきだ。


それが出来ないと、自分を"人材"と認めることができず、

会社や社会の歯車を回す"ただの労働者"と認識してしまう。

労働することは素晴らしい、生きるために労働する、といった

美意識が優先してしまっては、いつになっても人材にはなれない。


自分がいい人材である為には、まず自分自身が主君となって

その自分を人材として使う、という意識であればいいのだ。

そして、足りない部分を、自分の努力か、人脈で補えばいい。



自分は、自分にとっていい人材でありたいし、他人にとっても

いい人材でありたい、と思っている。

今後、自分の能力を高めていき、それを刺激してくれる友人に

また出会いたいものだ。




END

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人は見かけでは判断できないが、



人は見かけでは判断できないが、

仕草で判断することはできる。昨日、そう思った。




知り合いのレストランで食事をしていると、隣のカップルの

男性、おそらく30代後半と思われたが、テーブルに肘をつき

クチャクチャと音を立てて食べていた。


隣の女性の話に賛同の相槌を打つたび、手にしたフォークで

女性を指していた。口に物を入れたまま笑っていた。



マナーがなっていない、というレベルではない。


この人がどういう人なのか、会話せずとも判断することができる。



誤解してほしくないが、その男性がいい人なのか悪い人なのか、

そういうことを判断しているわけではない。




判断できてしまうのは、その人の"階層"だ。




少しばかり説明を要する。




社会に出ると、人間は縦社会に属することになる。


縦社会とは、言葉の通り下から順に"階層"があることを指す。


例えば企業でいうと、役員、幹部社員、平社員、の3階層だ。


テーブルに肘をつき、口から音を出しながら食事をした彼は、

まず、役員ではない。役員は、取引先との会食や接待の席

に出る。その席でマナーがなければ信頼を失う。

役員にとって常識的なマナーは必須だ。


彼は、幹部社員でもないだろう。

幹部は、役員と食事する機会がある。部下たちと食事を

する機会もある。役員は、マナーのない幹部社員を後継者

に置きたいとは思わないだろうし、部下たちもマナーのない

上司を御輿にかつごうと思わない。


彼はおそらく、30代後半にして、まだ平社員なのだろう。

確認してはいないが、もし彼が幹部社員や役員であったら、

それこそ驚きというべきである。




仕草ではないが、別の例もある。




ある同窓会で、遅刻してきて謝っている男がいた。

同窓会のことをうっかり忘れていたらしい。


彼は、遅れる旨を電話してくることもなく、ただ遅刻してきた。


後から名刺をもらったのだが、肩書きは"契約社員"だった。

そうだろう。遅刻する人間が、組織に入ることはできない。




こんなこともあった。あるゴルフコンペで50代後半の男性と

一緒の組でコースを回った。


彼は毎ホール終了ごとのスコア申告で、明らかに数字を

1、2打数ほどゴマかしていた。


昼食のときに名刺をもらった。肩書きは"専任部長"。

いわゆる、部下を持たない管理職、である。


納得した。数字をゴマかすような人間が、会社の中枢で

活躍できるわけがないのだ。





どの例を見ても、その人の社会的"階層"が見えてくる。



約束を守らない、嘘をつく、といった低レベルの人間は、

社会の階層の中に入れる資格すらない。




親しく参加させて頂いている異業種交流会があり、

昔、そのような女性が一人いて、即刻その会から脱会

させられた。彼女は自分のやった行為を反省している

かもしれないし、騙した相手に詫びる気持ちもあるの

かもしれないが、それでも会に残ることはできない。



脱会の理由は、

彼女がまだその会に参加できる"階層"にいない、

という一点なのだ。





自分の周囲にも、いろんな階層がある。


前述した異業種交流会もそうだ。


高い階層にあるので、ある程度の人間しか仲間に

誘うことができない。


具体的に言えば、一度交わした約束を疎かにする

人間、何かをやろうとするときに怠惰にかまけて遅れさせて

しまう人間は、この交流会の階層に届かない。




同じ高校出身の尊敬する先輩がいて、彼とよく飲みに

行くのだが、いつもとても楽しい。できればいろんな

仲間を誘っていきたいのだが、"階層"に阻まれる。


ただの飲み会なので、クチがきけて、話ができる者で

あればよいのだが、それより上のレベル、たとえば

自分のことよりも相手のことに分量を置いて話ができる

とか、相手の話をしっかり聞いて、自分の意見で相槌が

打てるとか、そういうレベルに達していないと、その階層

に届かない。



以前勤めていた会社の仲間と一緒に、取引先の

年長者と食事に行ったのだが、その年長者が熱心に

話をしているときに、会社の仲間の二人が、テーブルの

上の鶏の唐揚げが美味いかどうか、といった別の会話を

していた。


長い飲み会の時間の中でたった一瞬の出来事なのだが、

たったこれだけのことで、"階層"が伺いしれてしまう。




どんなに裕福な者でも、どんなに教養の高い

者でも、低い階層にいるものはいくらでも存在する。




逆に、肩書きや環境が伴っていずとも高い階層の人間はいる。



自分の古くからの友人に、職にもつかず、実家も出ず、

携帯電話も持たず、人とコミュニケーションを取る場を持たない

者がいる。だが、彼の人間性は極めて高く、どんな階層にも

通用する。おそらく彼は、自分の社会的地位などに興味を

持たず、「どこに出ても恥ずかしくない人間でありたい」という

価値観をしっかり根に持っているのだろう。


もしくは、彼の両親が、そのことに重きを置いて、彼を育てて

きたのかもしれない。



高い階層になればなるほど、社会的地位などに着目せず、

その人間の中身に目を向ける人が多い。



前述した異業種交流会でも、表面的な仕事話はそこそこに、

物事を捉える視点や感じ方、といったことをテーマにした

会話が主を占める。



仕事や家庭や趣味に依存した生き方をしている人間には

参加することができない。あくまで自分の生き方がどの

方向を向いているのか、自分の魅力をどの方向に向け

たいのかといったことに大切さを感じておかなければ、

低い階層で生きる人間、狭い池で生きる蛙にしかなれない。





もし、肘をついて食事をする彼が、そのことに"自由"を感じて

いるとしたら、そのことで社会の中における"不自由"な環境に

置かれてしまっていることを知らなければいけないだろう。



自分も、なるべくそうならないように、今後も環境にかまけること

なく、自己の中身を律していきたいものだ。




END

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イスラエルがまた暴れている



イスラエルがまた暴れているみたいだ。

今日のテレビでやっていた。



国連がストップをかけたのに、なんだかんだと

理由をつけて、またレバノンを攻撃したらしい。



そういえば、先日日本海に向けてミサイルを

打ち込んだ北朝鮮が、今度は核実験を始めようと

しているらしい、と昨日のニュースでやっていた。


そうなると次は韓国が核を持とうとするのだろう。

危険極まりないことだ。





人間が戦争をやめることはできないだろう。





そもそも、動物や昆虫や植物ですら、生態系の

中において、戦争を繰り返しているのだ。


カブトムシとクワガタがクヌギの樹液を取り合う

ように、大国同士が石油を取り合っている。


あえて違いを挙げるとするなら、カブトムシと

クワガタは、いくら戦っても、殺しあうことまでは

しないが、人間は、戦って殺しあう。ここが違う。



石油を取り合うのは、じゃんけんで戦えばいい。


じゃんけんは大げさにしても、せめて、素手で

戦うようにすればいいのだ。人間、素手で

戦い合っても、死ぬようなことにはならない。



武器、などというものがあるから、悲惨な戦いに

なってしまうのだ。



アメリカにしても、巨大なマーケットの背後に

軍事産業というブラックマーケットが存在している

からこそ、戦争をやめられないのだ。


軍事産業は、戦争が始まると景気が上がり、

戦争が終わると景気が下がる。


ミサイルを作るのは、居間に飾ってもらうため

ではなく、どこかに打ち込んでもらうためだ。

打ち込む先があるから、ミサイルは作られる。



武器を作るのをやめれば、人が殺しあうような

戦争をせずに済むはずだ。





古代ギリシア時代だったか、

スパルタ軍とメッセニア軍の戦いにおいて、

それまで青銅の剣で戦っていた戦場に、

はじめて鋼鉄の剣が登場した。


青銅の剣は、相手を殺してしまうほどの殺傷力を

持っていなかったが、鋼鉄の剣は切れ味が鋭く、

相手を確実に絶命させることができた。



"銅"から"鉄"へ移行したことで、

戦場は勝負の場ではなく、殺し合いの場となった。




日本の戦国時代、武田信玄と上杉謙信の

川中島の合戦は有名だが、

数万を越える軍勢が、数週間を戦いあっても、

両軍の死者は合わせて千や二千程度だった。


だが、織田信長と武田勝頼の長篠の合戦において、

織田の鉄砲隊は、武田軍1万を、たったの三日間で

ことごとく殺傷してしまった。



"矢"から"鉄砲"への移行が、戦いを悲惨にした。




江戸幕末、薩長軍と幕府軍が壮絶な戦いを繰り広げた、

となっているが、あれは、イギリスとフランスの戦いだった。


もともと、天皇を擁する尊王派と、将軍を擁する佐幕派との

意見と思想の争いから始まり、結局、穏便な話し合いの末に

徳川将軍が大政を奉還し、そのまま事は収まると思われた。


が、なぜか戦争の火蓋が切られ、激しい殺し合いとなった。


当時、イギリスとフランスは、軍事産業の発展を競い合い、

イギリスは薩摩と長州に、フランスは幕府に武器を流した。

武器を流した以上、それをたくさん消費させて儲かりたい。

だからこそ、尊王派と佐幕派が話し合いによって解決する

ような事態を回避すべく、あらゆる手段で戦争を起こさせた。


結果、イギリスが後ろ盾となった薩長軍が政府を樹立した

ことで、その後、大量のイギリス兵器が日本へ流れてくる

ことになる。"世界の海軍"イギリスが作る軍艦のほとんどが

日本へ輸出され、日中戦争、日露戦争へと広がっていった。



思えば幕末のあのとき、イギリスとフランスが、

武器の輸出で争わずに、紅茶とワインの輸出で争っていれば、

お互い競合することもなく、戦争なども起こらずに済んだのだ。





剣や鉄砲、軍艦やミサイルといった強力な殺傷力を持つ

道具は、この世から無くしてしまうべきだ。




もっといえば、刃物すら、世の中に出回るべきではない。




魚も、肉も、野菜も、スーパーで売られている時点で、

すべて切られていれば、包丁など台所になくていい。


家の台所に包丁があるから、人は不幸せな目に合う。




世の中で、包丁を握って人を幸せにできるのは

料理人だけだ。



料理人だけが包丁を使えるようにすればいい。





亡きジョン・レノンが、


"すべての武器を楽器に持ち替えよう"


という運動をやっていた。すばらしいことだと思う。




これに関する余談だが、

歴代のウルトラマンシリーズで、一番強い怪獣が

何だかご存知だろうか。実は、バルタン星人でも

ゼットン星人でもなく、ウルトラマンマックスという

前シリーズに登場した 完全生命体イフ だ。



突如地球にあらわれた巨大な物体。ただそこに

いる、というだけで何の害もないのだが、地球

防衛軍は、協議の末、異星からの生命体が

地球に留まり続けていることそのものが危険だ

という理由で、ミサイルや戦闘機によって爆破

を図る。だが、この生命体は、ミサイルや戦闘機

によるビーム攻撃をことごとく飲み込んでしまい、

逆に、ミサイルやビームを身につけ、反撃を行なう。


慌てた地球防衛軍は、強力な軍隊と兵器によって

さらなる攻撃を加えるが、そのたびに、この生命体は

すべての攻撃を飲み込み、すべての兵器を体に

身につけて反撃してくる。


ウルトラマンが登場し、会心のビーム光線を加えるが、

なんとそのビーム光線すら飲み込んでしまう。

自ら放ったビーム光線を返され、くずれ落ちてしまう

ウルトラマン。暴れ狂う怪獣。街は焦土となる。


攻撃の術を失った地球防衛軍とウルトラマンが

立ちすくむ中、巨大な兵器と化した生命体の前に、

ひとりの幼い女の子が、瓦礫の下から現われる。


怪獣さんは、音楽は好き?音楽は楽しいよ。


そう無邪気に言いながら、怪獣に向かって

学校で習った笛を吹きはじめるのだ。


すると、その生命体は、みるみるうちに、

巨大な兵器の塊となっていたその姿を、

巨大な楽器の塊に変え、

女の子の笛の音に合わせながら、

素晴らしい音楽を奏ではじめるのだ。



この生命体は、もともと危険な怪獣ではなく、

自分に影響を及ぼす物体を、体に取り込んで

いくという特殊な生命体だった。


それを大人達は、武器をもってねじ伏せようとした。


そして、ひとりの女の子の、ただ音楽を愛する心が

世界を救ったのだ。




この回の放映を見て、感動に涙しながら、

ああ、ジョン・レノンなんだな、と思った。



武器が、楽器に替わって、平和が訪れたのだ。





そう、何か、身近なことからはじめよう。


周囲の誰かが、誰かと喧嘩になりそうになったら、

互いに楽器を持たせて競い合わせよう。


もしくは、カラオケの得点で競い合わせればいい。

同じ曲をエントリーさせて、ハモり対決、でもいい。


そうすれば、喧嘩も収まろう。



誰かと誰かがクチ喧嘩をはじめたら、

そのうるさいクチに、ハーモニカをくわえさせればいい。


そうすれば、いつか音色が合うときが来るだろう。





国連の人達へ。

イスラエルとレバノンの国境地帯に、

国連軍を送るのではなく、

音楽隊を送れ。




END

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