カテゴリー「ちょい雑学」の5件の記事

社名やブランドの語源は、調べて



社名やブランドの語源は、調べてみるととても面白い。




会社の仲間に岩手県出身者がいて、彼の実家から近い

観光名所に「小岩井農場」がある。


てっきり"小岩井"という地名だと思っていたのだが、

どうもそうではなく、創業出資者の野・崎・上の

三人の名前の頭文字を並べて、「小岩井」と名付けた

ことに由来するそうだ。




創業者の名前に由来するブランド名は他にもある。



一番の有名どころでは「ブリジストン」だろう。

創業者の石橋さんの、石(ストーン)橋(ブリッジ)

もじってつけたブランド社名だ。



ガス器具メーカーの「リンナイ」も、創業者の二人の

さんと藤さんの名前から一文字ずつをとって

林内(リンナイ)とした。



メンズスーツチェーンの「takaQ」も、創業者の高久さんの

名前をもじったものらしい。




人の名前からつけられるパターンもあるが、一番多い

パターンは地名からつけられたものだろう。




「トヨタ」などは、本拠地の豊田市からそのままとった名だ。



「東芝」は、これも本拠地のを縮めた名前。



「カネボウ」は、東京墨田ヶ淵に績所を構えたので

これを省略して鐘紡(カネボウ)なのだそうだ。



ジーンズメーカー「EDWIN-エドウィン」の由来は面白い。

その昔、ジーンズ産地といえば岡山が有名だったが、

岡山に対向して東京をジーンズ産地にしようと志した

創業グループが、"江戸WIN(東京の勝ち)"という

思いを込めて付けた名前だそうだ。微笑ましい。




英語を省略してつけられたブランドも多い。



身近なところでは、携帯キャリアの「Docomo」は、

"Do Communications Over The Mobile Network"

和訳すると、"移動通信で交流する"という単純な

英語だが、この英文を省略したものだそうだ。



同じく携帯キャリアの「au」は、これまた英文の

"Access to you"からとったもの。



「Vodafone」は、"Voice data fone"から。


さすがに時代を牽引する携帯キャリアブランドは

お洒落な由来を持っている。




英語に由来するブランド名は他にもある。



ハンバーガーチェーンの「モスバーガー」は、

"The most delicious hamberger"から。



ゲーム会社の「セガ」は、"Service game"から。



びっくりの由来は、殺虫剤の「フマキラー」だ。

"Fly Mosquito Killer"、つまり"ハエと蚊を殺す道具"

という意味の英語をもじって縮めたものらしい。



「カルビー」の由来の、カルシウムとタミンを縮めた、

というのに似ている。




そういえば高校野球で有名な「PL学園」"PL"

由来を調べて、ちょっと寒気がしたのだが、あれは

"パーフェクト リバティー教団"という大阪発祥の

宗教法人から興った学校ということらしい。





こうやって挙げてみると、面白い由来の順としては

「エドウィン」「フマキラー」の由来が横綱といった

位置付けだろう。この二つは面白い。




そういえば、とてもローカルな話で、面白いものがある。



もう潰れてしまったデパートなのだが、地元の中心街に

「エレデ寿屋」という名前のデパートがあった。


この"エレデ"という奇妙な言葉の響きが、当時まだ

高校生だった自分の興味をそそり、いろいろ調べさせた。

フランス語、イタリア語、ギリシャ語、果てはラテン語まで

調べつくしたが、結局その名前の由来が全く解らないまま

ついにそのデパート「エレデ寿屋」は廃業してしまった。


つい最近、昔そのデパートで働いていたという男性に

出会って名前の由来を聞き、思わず爆笑してしまった。


"レガント・ディース・パート"の略、だったそうだ。



いやぁ、なんとも九州人らしく、いかにもセンスのない

名付け方ではないか。これを笑わずにはいられない。




エレデという甘美な響きの語源を求め、遠くヨーロッパの

言語まで探求した、あの高校生時代の青い日々の思い出

が走馬灯のように走り抜け、脆くも崩れ去って、

あとに笑いだけが残った。




END

| コメント (5) | トラックバック (3)

"リバテープ"といっても、他の地域



"リバテープ"といっても、他の地域では通じないらしい。



ネットで面白いコラムが出ていた。

「ばんそうこう」の呼び名は全国各地で違う、というものだ。



自分の地元は九州・福岡だ。

"リバテープ"の呼び名でお馴染みだが、

これはどうも、九州限定の呼び名らしい。



中国・四国、飛んで東北エリアは"カットバン"

関西・中部・関東エリアは"バンドエイド"

北陸・信越エリアは"ばんそうこう"

北海道では"サビオ"

富山県ローカルで"キズバン"と呼ぶらしい。



これは、ばんそうこうメーカー各社が、それぞれの

地域でシェアを争った結果だという。


九州では"リバテープ""バンドエイド"が二大勢力

なのだろう。どちらの言葉も普通に通じる。


"サビオ"は、初耳だ。

まるでブラジル格闘家の名前のような屈強な響きに、

ばんそうこうの粘着力の強さを想像してしまう。




自分も東京で仕事をしていたころ、会社の仲間に

「リバテープもってない?」と聞いて、変な顔をされた。

出た出た、九州言葉が、などとバカにされた記憶がある。



そういえば、"ブラックモンブラン"でも、同様の経験がある。

九州の人間なら誰もが知っているチョコアイス菓子だが、

東京ではまず見かけない。




他にもいくつかの単語が通じなかったのだが、

単語よりも苦労したのが、やはり「方言」だ。




九州・福岡にはいくつかの方言があり、

自分は「博多弁」が板についている。


いわゆる"なまり"や"イントネーション"の違いは

脳で意識して修正することができるのだが、

そうもいかない言葉がいくつかある。



会社の机の下にゴミが溜まっていたので、

「この机の下を、はわいといて。」

部下に、と声をかけたら、

「ハワイ??」と混乱した表情が返ってきた。


"はわく"という言葉は、博多弁らしい。

標準語では、"掃く"と言うそうだ。


しかし、もし東京から福岡に来た人間が、

「この机の下を、掃いておいて」などと言っても、

これも通じないだろう。

"吐いておく?オエェェってこと?"

などと笑われるのがオチだ。



方言そのものが笑いのネタになることは多くある。



電話口で、福岡の友人に、開口一番、

「どげんね?」

と声をかけた。"調子はどう?"という意味だ。

その電話を切ったあと、同僚に、

"ドゲンって何?ウルトラマンのカプセル怪獣?"

などと笑われた。



部下が明日、北海道まで出張する、という前日に

「チケット取っとーと?」

と確認したら、これまた爆笑され、それ以来、

何かにつけて"○○とっとっとー"としゃべるのが

社内で流行した。



同僚とクダラない話で盛り上がっていたときに、

「あー、お前、ちゃきー」と言ってみた。

"ちゃきーって何?"と聞かれたので、

ごく自然な表情で、

"ちゃくい、を省略した言葉だ" と答えたら、

"じゃあその、ちゃくいって何?"と言う。

ここで、返答に困った。


「ちゃくい」とは「生意気だ」という意味なのだが、

その言葉の響きの語源が分からない。


例えば関西弁で「ごっつムカつく」などと使う、

あの"ごっつ"という強調語は、

ごっつ ← ゴツい ← ゴツゴツしている(=強い)

という足跡を辿ることができるのだが、

「ちゃくい」は、どうにも足跡を辿れない。


そこで、ネットで調べてみたところ、

元は"横着(オウチャク)"という言葉を

若者が"横着い"と変化させ、

それを省略して「ちゃくい」になったらしい。


個人サイトの情報だったので真意は測りかねるが、

他に推測できる元語がないので、事実なのだろう。



「ちかっぱ」という九州言葉もある。

「ちかっぱムカつく」「ちかっぱ嬉しい」などと使うが、

意味は、関西弁の「ごっつ」と同じだ。


これは、"力いっぱい"「ちかっぱ」に変化したらしい。



この"ちかっぱ"を使う者は回りに少なくなったが、

「ばりムカつく」といった"ばり"は、今でもよく使われる。


これも「ちかっぱ」「ごっつ」と同様の意味なのだが、

これの語源は、暴走族のバイクが「バリバリ」と威圧的な

音を立てることから、「ばり」となったらしい。


自分は、この「ばり」の語源を、英語の「Very」だと

思っていたのだが、どうやら違っていたようだ。




余談だが、博多ラーメンを食べるとき、

麺の硬さを表わす「ばりカタ」という単語がある。


硬さの順番としては、

ヤワ麺 → 普通 → カタ麺 → ばりカタ → ハリガネ

という5段階だ。


知り合いのラーメン屋台の親父が言っていたのだが、

最近、関東から出張してきたサラリーマンなどが、

「あのー、麺は、ばりカタでお願いしていいですか?」

などと使うのを聞いてクスッと笑ってしまうが、

ハリガネで」と使うのは、まだ博多人しかいないという。



ちなみに、

「ラーメンひとつ、麺はハリガネで」などと注文するのではなく、

席につくなり、「ハリガネ。」と一言で済ますのが本当のツウで、

そういう客が来たときは、いつもより真剣に作るのだそうだ。




博多へ来たらまずラーメン。そう考える他県人は多い。

もし、本当に美味しい博多ラーメンが食べたいと思うのなら、

以下の三つの博多弁を覚えておくと良い。



まず屋台のノレンをくぐって、「席、空いとっと?」

席に座ったら一言、「ハリガネ」

さらに屋台の親父に、「今日は、どげんね?」

笑顔で声をかければ、もう完璧な博多人だ。



美味いラーメンを食べられること、疑いない。




END

| コメント (0) | トラックバック (0)

サッカー通の知り合いと久しぶりに



サッカー通の知り合いと久しぶりにゴルフをしたので、

昼ご飯を食べながら、新オシムジャパンやアジアカップの

ことについていろいろと話が盛り上がった。



話を聞いていた友人が、「中田の引退はどうなのよ?」

と切り出したが、サッカー通の知り合いも自分も、今更

中田に興味はないので、まあ、いいんじゃないの、と

いった程度の話で終わった。





中田と言えば、妙な言葉を残して去っていった。


「人生とは旅であり、旅とは人生である。」


前半部分はいいとして、後半のクダリは意味不明である。

単に単語の前後位置を反対に変えただけだ。


和田といえばアキコであり、アキコといえば和田である、

みたいな言葉遊びと大差ない。


まあなんとも意味のない言葉を残してしまったものだ。





「巨人軍は永久に不滅です」


とはミスター長嶋の引退の言葉だが、こちらは面白い。


"永久"と"不滅"は、ほぼ同意語なのだが、

それを重ねて使ってしまうところにミスターの憎めない

人柄が見えてくる。





漫画になるが、引退宣言といえば北斗の拳のラオウだろう。


「我が生涯に一片の悔い無し!」

という名文句を残して、引退、というか絶命してしまうのだが、

このインパクトは当時小学生だった自分には大きかった。



悔いのない人生を送ろう、と聞くと、ひ弱な大人が掲げる

標語のようで不快だが、

死ぬ間際に、生涯に悔いはないと言って去っていくという

その潔さに、真っ直ぐな男らしさを感じることができた。





昨年、広島東洋カープの名選手が、


「少年達よ、野球はいいぞ!」

とマイクで言い残して引退した。あれは格好よかった。




身近なところでは、昔勤めていた会社の上司が還暦で

引退するとき、自分を部屋に呼んで、名言ともいえる言葉を

贈ってくれた。



「出る杭は、打たれて強くなるものだ。」



彼からもらった言葉に勇気づけられた。


その後、地元でサラリーマンになって、会社の年長者達に

イビられたとき、

「もっと打ってくれないと、杭の出し甲斐がありませんよ」

のたもうたことがあり、痛快だった。





名言といえば、大好きなのはハンフリー・ボガードの台詞。


「昨日は何をしてたの?」「そんな昔のことは忘れた。」

「じゃあ今日の夜は?」「そんな先のことはわからない。」



こんな台詞で女性をあしらうボガードがカッコ憎い。





これはくだらない話だが、会社の仲間が小学校の頃、

父兄参観の日、英語の授業で、先生から


「リンゴは英語で何ですか?」と質問された生徒が、

ちょっと考えた末に、明朗な発音で、



"りぃんごぉぉぅ"  と答えたそうだ。



以来、その仲間の家でリンゴが食卓に並ぶたび、

家族の皆が、りぃんごぉぉぅ、りぃんごぉぉぅ、と

笑いあって食べているそうだ。名言といえるだろう。





座右の銘というのも面白い。



日本女子バレー代表で、イタリアセリエAプレイヤーの

高橋みゆき選手の背番号上のアルファベットは、

"TAKAHASHI"でも"MIYUKI"でもなく、"SHIN"と書かれる。


何故かと思い調べてみると、彼女の座右の銘である

"心・技・体"から、しん(SHIN)としたのだそうだ。


ユニフォーム表記の意義を全く無視しているともいえるが、

それだけ彼女にとって座右の銘が大切なのだろう。




海外留学の頃に、この座右の銘について友人達に

説明したところ、ああ、墓碑銘のようなものかと言われた。


日本では墓碑銘というものに馴染みが少ないが、

欧州では一般的に使われる。例えば、


"医師、リチャード・トーマス、ここに眠る"

"生涯に多くの命を救い、家族たちに多くの愛を育んだ"


後半の部分が、墓碑銘である。



無論、墓碑銘とは死んだ後に刻まれるものだが、

「自分はこういう墓碑銘を残したい」と思い描き、

その内容に準じた生き方をしていくという意義もある。

このことが、座右の銘の意味と重なるのだろう。





余談だが、自分にも座右の銘がある。



自ら省みて直からずんば、褐寛博といえど吾恐れざらんや。

自ら省みて直からば、千万人といえど吾往かん。


中国の孟子の言葉だ。


現代語に訳すると、


「自分の行動が間違ったものであると分かれば、

それを指摘した相手が、たとえ乞食だったとしても

自分はそのことを深く反省し、自分の行動を正すだろう。

もし、自分の行動が決して間違っていないのであれば、

たとえ大多数から否定されても、必ず行動するだろう。」



という意味だ。



この座右の銘を掲げたおかげで、サラリーマン時代は

随分と苦労したが、今では、この銘を守りつづけている

ことに少なからず誇りを感じている。





名言にしても台詞にしても、インパクトのあるもの、

感動できるものは、そのまま後世に伝わっていく。



言葉の力は素晴らしいものだ。




END

| コメント (0) | トラックバック (0)

"脳"に関する本をいくつか手に入れ、



"脳"に関する本をいくつか手に入れ、読んでいる。



脳、といえば、右脳と左脳に分かれているもので、

それぞれに役割が違う、程度の知識しかなかったので、

もう少し勉強したいと思い、いろいろと読んでみたところ、

結局、たいしたことは分からなかった。



外国人は、鈴虫の音が"雑音"に聞こえるが、

それは左脳で認識してしまっているからで、

もし右脳で認識すれば心地良く聞こえるのだ、とか、


子供がテレビゲームをするとき、

左脳でゲームを解き、 右脳で音楽を聴くので、脳を

バランスよく使えていて実は脳の発達には良いのだ、

とか、その程度のことだ。




だが、ひとつだけ面白いことが分かった。




"三つ子の魂、百まで"というのは、

幼い頃に培ったシツケや考え方が老年まで続く、

という意味だが、


"七つ子の脳、百まで"という言葉が本にあって、

これは、七歳までに、脳の部分のどこを重点的に

使っていたかで、老年までの脳の使い方が決まる、

という意味らしい。



これを、人それぞれの身に振り替えて、とても顕著に

表れてしまうのが、学生の頃の成績表だという。



国・数・社・理・音・美、という六つの学問に分けた

場合の、学生の頃の成績表が、じつは大人になっての

脳形成に、そのまま反映されてしまうそうだ。


これを知って、そのまま自分に当てはめてみると、

ああ、まさにその通りだ、と、深く頷いてしまった。



自分の、学生の頃の成績表を、五段階評価で

ザックリと書いてしまうと、


国・・・3  数・・・1  社・・・3

理・・・2  音・・・5  美・・・4

と、こんな感じだろう。


数・理の、"左脳系学問"に、手も足も出なかった。

逆に、音と美の、"右脳系学問"には異常に強かった。



高校の数学テストの時、回答どころか問題の意味も

解らず、 仕方ないので、答案用紙の裏に教員の

似顔絵を書いて提出したところ、職員室に呼び出され、

数学の教員に手を引かれ、無理やり美術部に入部

させられたという、しょうもない武勇伝を持っている。

美術部員の先輩達は大笑いしながら迎えてくれたが、

どの先輩を見ても、全員、右脳生物といった感じで、

数学・物理に強い人間が誰もいなかったので、

ホッとした覚えがある。



自分は幼い頃から音楽をやっていたので、

学校の成績はもちろん良く、友人にも音楽仲間が

多かったが、面白いことにその友人たちを見回して

数学に強い人間は皆無だった。


音楽という学問は、演奏と作曲の二つのジャンルに

分けられていて、自分はそのどちらも勉強したのだが、

作曲のほうは非常に数学的で、リズムや音程を作る

のに、電卓を叩きながら進めることもある。

タバコの箱の設計に代表される"黄金比"という言葉が

あるが、音楽にも"黄金律"というものがあって、


例えば 一小節が四拍子だとすると、

単純に、1-1-1-1、の 区画で分けられるのだが、

これを細かい音符やリズムに 分けるとき、

2/4-3/4-2/4-1/4-3/4-3/4-2/4、 と分けてみると

アシッドジャズの黄金律になる。これをさらに縦に割ると

立体的な音楽になって、人の 耳に心地良く伝わるのだが、

そこまでしっかり計算して曲を作ることなど、左脳に弱い

タイプの人間にはムリな話だ。無論、自分も友人達も、

作曲の道に進めた者はひとりもいない。


逆に、楽器の経験もない人間が、作曲で成功した例は

多くある。

左脳タイプが作曲し、右脳タイプが 演奏する、

これがもっとも効率的な方法なのだ。



この左脳タイプと右脳タイプの関係は、人間付き合いや

会社運営においてもいえることで、ここがうまくバランスが

取れれば、お互いの相乗効果で物事がうまく行く。



例えば何か問題が生じたとき、それを解決するために

いろんな分析が必要だが、左脳タイプと右脳タイプでは

その問題を直視するときの、目線の角度が、まったく違う。


なんというか、実に表現しにくいのだが、

左脳タイプは、「問題を解決すること」を先に考え、

右脳タイプは、「問題が無くなってしまうこと」を先に考える、

そんな感じだろうか。


「これをこうやったら、最後に問題が解決する」という左脳、

「問題が無くなるために、これをこうやればいい」という右脳、

つまり、物事を考える順序の違い、とも言えるかもしれない。



実際のところはどうなのか解らないが、自分の友人や仲間達を

観察するに、いつもこのパターンである気がする。



しかし、たまに、右脳と左脳を上手に使い分けることのできる

人間がいて、実にうらやましいと思う。


以前勤めていた会社に、会議の席で、右脳タイプの人間が

旗をもって進めるときは左脳に徹し、逆の場合は右脳に徹する

といった立ち回りができる先輩がいて、彼を心から尊敬した。


また、知り合いに素晴らしいイタリア料理を作るシェフがいて、

いつ食べても寸部の味の狂いもない料理を出してくれるので

まさに左脳に強いわけだが、その一方で絵がプロ並に上手く、

しかも生け花の草月流の師範免許持ち、という人がいて、

いったいどういう脳をしているのかと驚いてしまう。




自分は、"右脳最強"と信じているので、いまさら左脳を鍛え

ようとは思わないが、逆にそのぶん、左脳に強い友人を

大切にしよう、と思っている。




END

| コメント (0) | トラックバック (1)

「口内調味」という言葉を、先日



「口内調味」という言葉を、先日、初めて知った。

コウナイチョウミ、と読むのだが、言葉の通り、

"口の中で味を調節する" という意味だ。



鯖の味噌漬けを口にすると、必ずご飯が欲しくなる。

これは、口に入れる、鯖、味噌、ご飯、の量を調整し

自分がもっとも美味しいと思える状態を、口の中に

作り出そうという欲求、と言える。

これが、口内調味だ。



そういえば、"三角食べ"というものを

幼い頃に教わった。

ご飯、おかず、汁物、この三つを順々に食べる、

どれもバランスよく食べよう、という意味だった。


ロイヤルホストの洋風定食、とやらを初めて食べた

ときに、サラダ、スープ、と、一皿ずつ出てくるので、

「これじゃ三角食べが出来ないよぉ・・・」と、

困ってしまった記憶がある。


いま思うに、この三角食べが、口内調味を身に付ける

源になったのかもしれない。




ちなみに、この口内調味、実は、世界の民族のうちで

日本民族だけにみられる習性、なのだそうだ。




自分もそうだが、タバコを吸う日本人は、コーヒーを好み、

紅茶を好まない。一緒に楽しむと不味い、と感じるからだ。


しかし、紅茶の本場・イギリスは、愛煙家率が高い。


自分の友人のカナダ人など、この日本人のタバコと紅茶の

関係を話したところ、まったく意味が解らない、といった表情

をしていた。彼と会うのはカフェが多いのだが、彼はいつも、

右手でタバコを吸いながら、左手のスプーンでフルーツパフェ

を口に運んでうまそうに食べる。明らかに口内調味を知らない。



江戸の末期、外国から学者や研究者が日本へ訪れ、

日本人の研究を行った。食生活に関する研究資料もある。

その中で、もっとも彼らが驚いていたのは、

「動物性タンパク質を摂取するのに、魚しか食べない」

という点だった。



まあ、肉が全くなかったわけではなく、医者が病人に滋養を

つけさせるために猪や鹿を食べさせる例があり、「薬喰い」と

称されていたようだが、そういった病人や弱者はともかく、

サムライやスモウレスラーといった屈強な人間達が、

揃って肉を食べないのである。これは驚きだったろう。


しかし、調査を進めてみると、魚を食べると同時に、

味噌、豆腐といった植物性タンパク質を豊富に摂取し、

多くの野菜や穀類と同時に食することで、日本人は

独特の栄養バランスを保っている、ということが解った。



この背景にも、口内調味、という習性があったことが

伺われるが、その頃の資料には口内調味は出てこない。



さらに、欧米人は、乳酸菌を摂るのに、動物の乳や

それを加工したヨーグルトなどを食していたが、

日本人は、毎日の食卓に並ぶ、わずかな漬物だけで

豊富な乳酸菌を摂っていた。


ちなみに、明治ブルガリアヨーグルトの500gパックを

まるごと全部食べて、ようやく得られる乳酸菌の量は、

タクアン一枚で得られる乳酸菌の量に等しいそうだ。



だったら、欧米人もタクアンを食べればよい、と思って

しまうが、彼らにはタクアンの美味しさが解らない。


日本人はタクアンの美味しさを知っている。なぜなら、

「タクアンとご飯を一緒に食べると旨い」、ということを

知っているからだ。




昨日、友人達とロシア料理を食べに行ったので、

さっそく、この口内調味を試してみた。


・・・・が、

ニシンのオイル漬けと、ボルシチと、黒パンと、

グルジア風カツレツは、全く調和してくれなかった。



ニッポンの口内調味、まさに恐るべし、である。



END

| コメント (0) | トラックバック (0)